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デング熱の恐怖4 入院編


インド滞在8日目。デング熱を発症してから5日目。

 

保険会社から、入院しろという連絡を受けてからアポロ病院、そして地元も市立病院を廻ったものの、両方から入院拒否。

 

およそ7時間は苦痛の時間だった。ホテルに帰ったときには熱は40度。食事はもちろん喉を通らず、セブンアップと水、そしてルームサービスで残った塩を少しずつ含む。

 

 

 

朝起きると、信じられないような痛みが体を襲う。

 

目の奥が殴られるように痛み、首から腰までが折られるように痛い。ホテルの電話が鳴っても寝返りを打つのに1時間はかかる始末で、出る事すらできない。

頭がぼーっとし何も考えられない。腕や足はかろうじて動くものの、10分に1回ほど、肘や膝の関節がハンマーで殴られるような痛みが襲う。

 

 

領事館からの連絡

 

痛みで昼前に起きた。そしたら親から電話がかかってきた。

「領事館の人と連絡がとれて、数時間したらホテルまで来てくれるらしいから、頑張って。」

 

昨晩から親が在インド・チェンナイ領事館の方と連絡をとっていてくれたのだ。

 

電話がまたかかってきた。

「日本国領事館の○○と申します。いまからあなたのところに迎えにいって、アポロ病院にもう一度いきますから、ゆっくり寝ていてくださいね。」

 

 

とにかく、痛みから逃げ出したい一心だったので、すがるような想いで待つ。

 

トイレに行く事もおおかった。腹痛がおそっては、水しか出ない下痢が続く。しかし、体がいたいので這いつくばってトイレへと向かう。必死だ。

 

 

トイレに行ってベッドに戻ってもまた腹痛の繰り返し。その連続に疲れては寝て、痛みで起き、トイレに行きながら親と連絡を取り合うこと数時間。

 


部屋がノックされた。「コンコン」

 

 

「日本国領事館の○○と申します。福崎さんですか?ドアをあけられないようでしたら、こちらから開けます。」

 

 

ホテルのスタッフ、通訳、そして領事館の職員の方がベッドに横たわる僕の横に立つ。

 

 

 

領事さんが手帳をみせ、「福崎康平さんですね。私は、チェンナイ領事の○○と申します。あなたを助けるためにここに来ました。これから、アポロ病院への入院申請と、ビザの延長申請を行います。通訳の方は、あなたを日常的にサポートしてくれます。これから、アポロ病院へと向かいましょう。」

 

 

 

荷物をまとめ、車椅子を用意してくれた。

 

 

この時、僕の膝と腰は限界で、歩ける状態ではなくなっていた。

 

 

大きな車にのせられ、ホテルを後にした。

 

 

車では、少しでも楽になるように、と僕を寝かせてくれた。

「私は、後ろの荷物置き場でもなんでも座れますから。」と領事館員の方が。

 

 

 

アポロ病院へ到着。入院申請。

 

病院へと到着した。

 

僕は病院の片隅に座り、全てを通訳の方と領事館員の方がやってくれた。

 

感謝でいっぱいだったのだが、僕の体はそれどころではなく限界に近かった。座る事すら辛く、車椅子を降りて長椅子で寝っころがる。小さく呻きながら、背中の痛みをこらえる。

 

 

1時間ほどの申請を経て、僕は無事に病室へと運ばれた。

 

小さな個室だった。部屋への文句を言う余裕なんて無く、僕は「これで助かる。」と少し安堵した。

 

 

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領事館員の方が、僕にポットと、ポカリスエットの粉末、そして沢山のソーダ類を渡してくれた。

 

「これは、うちの女房がつくったみそ汁だから。これを飲めば絶対に治るからね。安心して。ポカリスエットも。体調悪いときはたくさん糖分と塩分とらないとね。」

 

 

僕は涙が出た。ボロボロ泣いた。そして、日本という国がなんて素晴らしい国なんだと痛感した瞬間だった。

 

領事館員の方と通訳さんは、いったん、手続きの為に病室を後にした。

 

 

看護婦さんがやってきて、僕を着替えさせ、点滴と患者タグを取り付けた。

 

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(なぜかこの写真だけ残っていました。。)

 

 

 

気付けば皮膚には無数の紅斑。指や足がバンバンに腫れてきていた。

 

 

 

 

 

たくさんの先生がやってきて、僕を診察する。注射器で5、6本も血液を抜き、腕や足の状態を確かめた。

 

「これからキミの血液を検査する。今日の夜か明日の朝には結果が出ると思うよ。」

 

 

 

 

病室での孤独

 

とりあえず、親や友人に連絡しないと、と思った。

 

 

しかしインターネットが使えない。

 

上半身をゆっくりと動かす事はできたため、初日にゲットしたSIMカードの設定を行う。

 

 

しかし、アクティベートができていなかったみたいで、使う事ができなかった。

 

しょうがなく、通訳の方に連絡を頼んだ。

 

 

 

テレビを付ける。タミル語の番組ばかりだったので、何も分からないので、時間のつぶしようがない。だけど極度に寂しさがこみ上げた自分を、この音声は少し勇気づけてくれた。

 

 

 

 

 

 

しかし、いざ入院したものの、すがりつく人もいなければ、話を聞いてくれる人もいない。数時間続くと、僕は絶望の淵に苛まれていた。

 

 

(いつまでこの病院で過ごすんだろう。)

(本当にデング熱なんだろうか。調べた限りでは5日で治る病気だったのに、治る気配がない。)

(手術とか受ける事になるのか?何がおこるの?)

 

 

その日は夜中まで眠れなかった。テレビのチャンネルをひたすらかえていると唯一楽しめたのは、インドでも放送されている、タミル語の「ドラえもん」と「クレヨンしんちゃん」だった。

 

言葉が分からなくても、なんだか言ってることが分かるアニメってすごいなと純粋に思った。

 

 

 

 

Dengue Hemorrhagic Fever

 

気付けば朝になっていた.いつの間にか寝ていたのだと思う。

 

 

 

担当の先生がやってきて、僕に病状を説明した。

 

 

「あなたの血液を検査した結果、Dengue Hemorrhagic Feverだということが判明した。これは極めて重篤な病気だ。あなたの状況を毎時間チェックする。目鼻口、そして皮膚から出血状況が起きたらすぐに伝えてくれ。」

 

 

Hemorrhagic???

 

 

聞いた事の無い名前だ。でもなんとなく状況は察した。ただのデング熱じゃ無いということだ。

 

おそらく、出血をともなうデング熱ということだ。

 

 

 

 

この時、僕の血小板の数値は31000(平常値は150000~450000)しかなかった。血小板というのは、血を固める作用がある。つまり、デング出血熱とは血が固まらない病気なのだ。

 

このときはまだそんな状況になるなんて知らなかった。

 

 

 

数時間後、病室の電話が鳴った。親からだった。

 

 

「大丈夫?元気してる?」

 

「うん、なんとか入院できたよ。」

 

「病状が悪化すれば輸血が必要だという連絡があった。いまから家族の誰かをそっちに向かわせようという話をしているんだけど、ちょっと領事館の人と連絡しようと思っています。」

 

 

「そこまで無理しなくて良いよ。あとはなんとかやってくれるだろうから。」

 

「そんな状態じゃないでしょ。また連絡する。」

 

 

とりあえず親への連絡ができて一安心。でも、輸血の話などを聞いて、自分の状況を案じてしまっていた。

 

 

でも、ここからがもっと大変な日々が始まるとは思っても無かった。

 

 

 


Published in インド(2012.5) チェンナイ(2012.5) デング熱闘病記

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