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デング熱の恐怖6 緊急処置


(これは昨年5月~6月の話です。)

入院2日目、夜。正念場の数十時間がはじまった。

 

「輸血をすれば血小板は安定するから、安心してくれ。もう少し頑張れ。」

 

そう言い、担当医師は看護婦に任せて場を後にした。

 

 

 

真夜中の悶絶

 

なんだかいろんな輸液がされていった。白濁の輸液(おそらく血小板。)、痛み止め、脱水症状を起こさない為の水分、いろんな液体が注入されてゆく。

 

 

痛みはだんだん増してきた。歯が痛み、頭が痛み、肘、膝、骨、背中、皮膚の腫れぼったい痛みと痒み。

全てが同時に襲いかかってくる。

 

デング熱の別名は、「Break Bone Fever.」。その名の通り、骨が折れるような痛みが続くのだ。出血熱になるとなおさら強まる。

右腕がだんだん真紫に変色していき、そのエリアがどんどんひろがっていくのだ。もののけ姫のアシタカ?のようだ。ぼーっとしながらそんな事を考えてたような気がする。

 

紫色への変色原因は、血圧計だった。毎朝、血圧が測定される。

血圧計の圧迫だけで、腕の毛細血管や筋肉組織がことごとく切れてしまっていたのだ。

 

夜になり、通訳さんも帰宅。

 

これからは一人だ。全てを一人で解決しないといけない。もう恐怖とか、腕の心配とかよりも、「早くどうにかなってくれ。」その一心だった。

 

 

深夜になり、腹痛と頭痛も襲ってきた。一人ベッドでもだえる。5分激痛が走り、5分間収まる。その繰り返しだ。

 

ナースコールを押す。看護婦さんに看病をしてもらいながら、痛みが収まったら出て行ってもらう。その繰り返しが続いた。

 

トイレも行けない体になってしまっていた。膝の激痛で満足に立ち上がるどころか、背中の激痛で起き上がる事もできない。トイレを済ますにも看護婦さんの介助で10分かけてやっとの思いで行う。

 

 

孤独と人生

 

孤独だった。ナースコールを押せば看護婦さんがひとときの微笑みを見せてくれるが、痛い時にしか呼ぶ訳にはいかない。しかも、ここは異国の地。なかなか心を開けない自分もいた。

衰弱しきって、とにかくぼーっとしていた。指や皮膚はどんどんただれてふやけ、右腕には圧迫痛、骨の痛み。

 

「このままどうなってしまうんだろう。早く終わってくれ。」

その一心だった。

 

夜中になると、テレビは殆ど番組を終了し、見るものもなくなった。テレビをそっと消し、一人ぼーっと考えてしまった。

 

「このまま死ぬとかあるのかなあ。」

「今死んだら誰が悲しむんだろう。」

 

変な事をたくさん考えてしまった。向き合う必要の無い、自分の命の行く末を考えたりしてしまった。

 

「自分はこれで人生終えても幸せだなあ。いままでこの年齢にしてはいろんな経験して、実現する為には行動を起こして全てかなえてきた。別に悔いはないなあ。」

外が明るくなるまで、自分の昔を想い出した。楽しいこと、嬉しい事。

 

結局この日は一睡もできずに朝を迎えた。ただ、ぼーっとして何も判断できない状態だった。ただ、もうねっころがって、されるがまま。

早朝に、看護婦が採血にくるも、血管が全く見えない状態になっており、専門医が駆けつけてきた。

 

(自由にしてください、僕の体がどうなってもいいから、この今の辛い状況から早く逃げたい。)

 

 

生きたいとか、死にたい、とかじゃなかった。とにかく、この辛さからぬけだせればなんとでもよかった。

 

体重はこの数日はみるみる痩せていった。大学に入って太った分が全て高校時代の体に戻っていた。

 

 

 

血圧大低下

 

ここからは本当にうる覚えの話。

 

 

朝から10名近い医師が入れ替わり立ち代わりにやってきた。

皮膚科、外科、内科、眼科、歯科、整形外科、そんな所だと思う。

 

僕はデングショック状態を起こしていた。後から調べれば、初めてのデングでここまで来た人の致死率は数十パーセント。

内臓出血から脳出血でエンド。

血圧が一気に低下し、起き上がると数秒で目の前が真っ白になり、意識が飛んだ。

 

それまでは車椅子移動だったのが、担架で運ばれた。腕のエコー検査、内蔵の画像検査、脳の検査、血液、血圧の検査。

脾臓、肝臓がパンパンに腫れ、出血寸前になっていた。

 

本当に辛い数時間。。。。。。

デング

 (退院前の写真)

回りの患者よりも最優先で、処置が施された。僕は自分の行く末を、先生達にゆだねた。

 

 

 

昼過ぎまで処置は続いた。午前の血液検査の結果が届き、通訳が渋い表情を浮かべる。

「輸血をひたすらしているのに、全くキミの血小板が上がらない。危ない状況だ。動かないで。」

 

 

最後の選択

 

僕はいつのまにか寝てしまっていた。薬がまた効いてきたのだと思う。

 

こんなコトを話すと、アホかと思われるかもしれないけれど、、、、

夢を見た。人生で大事な人の顔が何人か思い浮かんだ。その人たちが心配している姿が夢の中に出てきた。

 

「そっか、死んで自分に悔いがなくても、僕の周りで悲しんでくれる人がいてくれるんだ。」

目が覚めた。

 

 

生きなきゃ。生きろよ。オイ。

 

 

ナースコールを押した。

「フルーツジュースと、ミルクをたくさんください。栄養をとる。とらせてください。」

 

まずいミルクを飲んだ。一番飲みやすいミルクティーに砂糖をたっぷり入れてがぶりと飲んだ。フルーツジュースも沢山飲んだ。オレンジジュースを沢山飲んだ。

僕にできることはそのくらいだった。

 

領事館職員さんにいただいたポカリスエットの粉末でポカリを作ってもらった。ゴクゴク飲んだ。

 

生きなきゃだめなんだよ。死んだら何も出来ない。何のためにこの20年生きてきたんだよ。

 

 

こっぺ食堂

 

いつのまにか、自分の為、自分の為とばかり考えてしまっていた、この旅の趣旨を深く考えた。

「世界中の旨いモノを探して、みんなに体感してもらわなきゃ。知ってもらわなきゃ。その為に僕はこのインド・チェンナイの病院で戦ってるんだよ。」

「次の香港に行こう。体調をなおして、香港へ向かおう。」

 

 

僕はとにかく最後の馬鹿力を振り絞った。さっき飲んだ、ミルクで少し元気が出てきた。水分をとって、今度はしっかり自分の意思で寝た。

 

 

翌朝

 

コンコン!!!

通訳さんがいつもより1時間早く来てくれた。僕の事が気になってしまったのだと言う。

 

 

「昨日の夜の血液検査の結果がでたよ!血小板、35000まで上がってたよ!!!」

「本当???」

「まだまだ安静と輸血は必要だけど、君が回復している証拠だよ!」

 

通訳さんと握手をかわした。この日から、クリーム状の食事まで挑戦することにした。ここから一気に僕の回復が始まっていく。

 


Published in インド(2012.5) チェンナイ(2012.5) デング熱闘病記

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