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カテゴリー: チェンナイ(2012.5)

2012年デング熱・デング出血熱闘病記まとめ


2012年、スリランカ・コロンボからインド・チェンナイに渡って4日目。

デング熱に感染しました。このページでは、デング熱およびデング出血熱に発病、入院、治療までの全てをまとめておきます。

2012年の5月19日から、6月1日までの14日間の記録です。

 

2週間にわたって、デング熱闘病記を書かせていただきましたが、これは自慢したいわけでも、慰めてもらいたい訳でもありません。

アジア・南米・アフリカ地域に初めて向かう全ての人に向けて、2つの想いを込めて書かせていただきました。

 

一つ目は、知らない国には、思っている以上に危険な病気が隣り合わせにあるということです。

僕はある程度下調べをして、出来る限りの予防接種を受けて日本を発ちましたが、それでも知らないコトだらけでこのような事態になりました。この記事を読んで、生半可な気持ちで海外をぷらぷらしてほしくない、そういった思いを込めて書かせていただきました。

・任意保険には必ず加入すること

・予防接種は必ず受けること

 

これは僕からの絶対のお願いです。今回保険に入っていたので大丈夫でしたが、2週間の治療だけでも100万円近い金額が治療に充てられました。保険に入っておらず支払いができなければ自腹どころの話ではなく、そもそも治療をおこなってくれません。くれぐれも注意してください。

 

二つ目は、情報収集の手段として使ってほしいからです。

海外で一人旅や、家族旅をする方は、現地の情報を中々取得することができません。デング熱だけではなく、現地の治安情報、文化などは、外務省の危険情報や観光雑誌だけでは全く情報が足りません。こうして、僕の記録を読んでいただく事で、もし不足の事態に陥ったときなどに活用してほしいなという想いがあります。僕自身も沢山のブログを書かれている方に助けられた事がありました。情報入手手段、危険地域、交通手段、情報の種類は幾多にも上ります。

 

是非、海外に向かわれる全ての方に、読んでいただければなと思います。僕の例を読んでいただくことで、何かしらの解決方法につながるはずです。

 

デング熱の恐怖 感染編

5/19 デング熱に感染、1回目の通院記録。

 

デング熱の恐怖 回復?編

5/20-22 いったん回復した後からの急激な容態悪化。

 

デング熱の恐怖 症状編

5/22 病院のたらい回し、インドの入院制度など。

 

デング熱の恐怖 入院編

5/23 入院から症状の宣告まで。

 

デング熱の恐怖 デング出血熱との闘い

5/24 デング出血熱と診断。痛みに耐える日々。

 

デング熱の恐怖 緊急処置

5/24-26 病状が更に悪化。今回のヤマ。

 

デング熱の恐怖 日本帰国

5/27-6/1 回復から後遺症や日本への帰国など。

 

 

今回入院した病院は、インド・チェンナイにあるアポロ病院という病院でした。詳細は各ページに書かれてありますが、入院後は大変親切に処置対応してくださいました。インドの病院入院はいろいろと手続きが面倒です。一人でやろうとせずにいろんな方の助けを借りてください。任意保険に入っていれば、通訳などを付ける費用も保険が降ります。そういったものは全て活用しましょう。

 

もしご家族が病気に感染されて、このブログにたどり着いた方がいらっしゃいましたら、すぐに現地の大使館や、領事館などに気軽に連絡してください。本当に日本は素晴らしい国です。これでもかというくらいに助けてくださいます。

 

 

ユーラシア大陸食べ歩きの記録ものせてあります、是非お時間があれば読んでいただければ嬉しいです。

 

 

 

 

***

(2014/9/2更新)

デング熱が東京都内で発生したというニュースが報道されております。デング熱や出血熱に関して、気になることなどありましたらお気軽にご連絡くださいませ。

Mail: fk.koppe [a] gmail.com(@に変換してください)


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デング熱の恐怖7 日本帰国


(昨年5-6月の話です。)

デング熱による入院6日目。インド入国より13日目。
一昨日夕方あたりから体調は一気に快方に向かい、なんと、血小板数値はは35000から、一気に130000まで上がってくれた。
1週間ぶりに柔らかいご飯を食べられるようになり、歯磨きも久しぶりにすることができた。

携帯を操作したり、カメラを操作する余裕もできて、嵐が過ぎ去ったように体調が良くなった。

来訪者

 

コンコン。

ドアが開いた。

「元気〜〜〜?大丈夫だった?」

姉が来てくれたのだ。病院から、家族を連れてくるようにと連絡があり至急こちらに向かってくれたのだが、ディレイによりこの日になってしまったのだ。

 

「元気そうやん、笑」

この姉は、2、3日前の苦痛を何も知らない。

 

でも、家族が来てくれた事で、一瞬にして肩の力が抜けた。退院まで病院に居てくれる事になった。

 

 

インドの病院グルメ

 

といってもこれしか撮影していなかったのだけど、、

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見た目はアレだけど、ここ2週間ほど何もたべていない自分にとってはごちそうだった。固形物が食べられる幸せを噛み締めた。

だけど、胃がちいさくなってしまったせいか、2口程度でお腹いっぱいになり、少し噛んだだけで、顎が痛い痛い。笑

でも、これは幸せな痛み。生きてるって感じがした。

 

あいにく写真は撮れなかったのだけど、この病院は、出前制度があり、患者の家族などは部屋まで料理を出前してくれるのだ。

インドを後にする日も近かったので、看護婦の目を盗んで一杯インドの病院メシを堪能した。

 

唐辛子のフライドライス

タンドリーチキン

沢山のカレー

発芽マメのサラダ

マトンビリヤニ

などなど、どれも本当に美味しかった!素晴らしく美味しかった。顎が痛かった。

 

 

 

無事、退院!!!

 

姉が来てから、3日間。最後の経過観察が行われた。歩けなくなった足を動かして歩行練習なども行った。筋肉はすぐに衰えるものだ。

 

まずは腕の検査、内出血がひどいので様子を見てみないと分からないので、日本の病院で通院してくれ、とのことだった。完治まで2ー3ヶ月はかかるそうな。

後日談を今話すと、結構このリハビリが厄介で、筋肉組織が破壊された右腕を病院で固定していたせいで、曲がらなくなってしまったのです、、リハビリ大変でした。

 

次に内蔵の検査。肝臓が以上数値を出しているのは変わりないので、1ヶ月の薬の服用と、向こう2ヶ月間の飲酒が禁じられた(これは辛かった、、笑)

そして、体力の話。今回体のダメージは中々大きいものなので、最低2−3週間のベッド生活と日本での外出禁止が命じられた。

血小板数値はなんと600000!これはちょっと高すぎるくらい。笑 治癒して頑張ってくれている証拠。1万台だった一番辛いときに比べれば数十倍。人間の治癒力はすごい。

 

後遺症が残ってしまうかどうか、このときは怖さもあったけれど、もうこの病院とおさらばできる!というコトが幸せだった。さらばアポロ。あなたは僕も悩ませてくれたし、救ってもくれた。一生忘れない!

 

最後に院長が話してくれた。入院2−3日目の症状は本当に酷かったらしく、脳出血を起こさないかヒヤヒヤだったらしい。肺にもギリギリ穴が開かず、それが良かったらしい。

一番良かったのは、食事をきちんととって体力を付けたこと、そしてあと僕の恵体(痩せていない事)も死ななかった原因だという話だった。

 

看護婦さん、通訳さんとあつい握手をかわして、病院を後にした。

 

 

 

なかなか出国できず。

 

アポロ病院を後にして、姉の滞在するホテルへと向かった。

このホテルのご飯がびっくりするくらい美味しかった!特に海老のグリル。写真撮っておけば良かった、、

伊勢エビくらい大きな、ブラックタイガーをガーリックで焼いただけのものだったのだけど、本当に美味しかった。

 

31日。最後の難関がまだあったのだ。

 

それは、僕が入院できない原因にもなり、数日前に切れてしまったビザ。

実はビザが切れた後は、不法滞在を行っていた事に鳴っていた。

領事館の方の手だてにより特例で滞在することができたが、この日は入国管理局に行って、滞在が伸びてしまった原因の説明と新しいビザの更新申請をしなければならなかった。

 

自筆のサインが必要なので、体力が衰えた自分も行く事に。これが5時間もかかった。クーラーが効いていないため、40度の中で貧血を起こしてしまった、、笑

 

しかし、無事ビザをゲット。これも通訳会社の方が全てやってくれたから、本当に助かった。

 

 

++++++++++

 

日本帰国!

シンガポール空港経由だったので、チャンギのシンガポールライスがなかなか美味だったのと、日本行きの飛行機が全日空だったので、和食が出た事に感動。

2ヶ月でいったん帰ってしまう自体になってしまったのだけど、本当に助かった事が幸せで何も考えられませんでした。

 

検疫所で1時間にもわたる尋問と各種検査・写真撮影を終えて成田の到着ゲートをくぐる。

「おかえり!!!!」

 

父親と熱い抱擁をかわしました。今回は、姉も父親も、母も兄も全てに感謝した2週間でした。困った時はやっぱり頼れるのは家族。そんな瞬間でした。

 

本当に迷惑かけてごめんなさい。ありがとう。

 


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デング熱の恐怖6 緊急処置


(これは昨年5月~6月の話です。)

入院2日目、夜。正念場の数十時間がはじまった。

 

「輸血をすれば血小板は安定するから、安心してくれ。もう少し頑張れ。」

 

そう言い、担当医師は看護婦に任せて場を後にした。

 

 

 

真夜中の悶絶

 

なんだかいろんな輸液がされていった。白濁の輸液(おそらく血小板。)、痛み止め、脱水症状を起こさない為の水分、いろんな液体が注入されてゆく。

 

 

痛みはだんだん増してきた。歯が痛み、頭が痛み、肘、膝、骨、背中、皮膚の腫れぼったい痛みと痒み。

全てが同時に襲いかかってくる。

 

デング熱の別名は、「Break Bone Fever.」。その名の通り、骨が折れるような痛みが続くのだ。出血熱になるとなおさら強まる。

右腕がだんだん真紫に変色していき、そのエリアがどんどんひろがっていくのだ。もののけ姫のアシタカ?のようだ。ぼーっとしながらそんな事を考えてたような気がする。

 

紫色への変色原因は、血圧計だった。毎朝、血圧が測定される。

血圧計の圧迫だけで、腕の毛細血管や筋肉組織がことごとく切れてしまっていたのだ。

 

夜になり、通訳さんも帰宅。

 

これからは一人だ。全てを一人で解決しないといけない。もう恐怖とか、腕の心配とかよりも、「早くどうにかなってくれ。」その一心だった。

 

 

深夜になり、腹痛と頭痛も襲ってきた。一人ベッドでもだえる。5分激痛が走り、5分間収まる。その繰り返しだ。

 

ナースコールを押す。看護婦さんに看病をしてもらいながら、痛みが収まったら出て行ってもらう。その繰り返しが続いた。

 

トイレも行けない体になってしまっていた。膝の激痛で満足に立ち上がるどころか、背中の激痛で起き上がる事もできない。トイレを済ますにも看護婦さんの介助で10分かけてやっとの思いで行う。

 

 

孤独と人生

 

孤独だった。ナースコールを押せば看護婦さんがひとときの微笑みを見せてくれるが、痛い時にしか呼ぶ訳にはいかない。しかも、ここは異国の地。なかなか心を開けない自分もいた。

衰弱しきって、とにかくぼーっとしていた。指や皮膚はどんどんただれてふやけ、右腕には圧迫痛、骨の痛み。

 

「このままどうなってしまうんだろう。早く終わってくれ。」

その一心だった。

 

夜中になると、テレビは殆ど番組を終了し、見るものもなくなった。テレビをそっと消し、一人ぼーっと考えてしまった。

 

「このまま死ぬとかあるのかなあ。」

「今死んだら誰が悲しむんだろう。」

 

変な事をたくさん考えてしまった。向き合う必要の無い、自分の命の行く末を考えたりしてしまった。

 

「自分はこれで人生終えても幸せだなあ。いままでこの年齢にしてはいろんな経験して、実現する為には行動を起こして全てかなえてきた。別に悔いはないなあ。」

外が明るくなるまで、自分の昔を想い出した。楽しいこと、嬉しい事。

 

結局この日は一睡もできずに朝を迎えた。ただ、ぼーっとして何も判断できない状態だった。ただ、もうねっころがって、されるがまま。

早朝に、看護婦が採血にくるも、血管が全く見えない状態になっており、専門医が駆けつけてきた。

 

(自由にしてください、僕の体がどうなってもいいから、この今の辛い状況から早く逃げたい。)

 

 

生きたいとか、死にたい、とかじゃなかった。とにかく、この辛さからぬけだせればなんとでもよかった。

 

体重はこの数日はみるみる痩せていった。大学に入って太った分が全て高校時代の体に戻っていた。

 

 

 

血圧大低下

 

ここからは本当にうる覚えの話。

 

 

朝から10名近い医師が入れ替わり立ち代わりにやってきた。

皮膚科、外科、内科、眼科、歯科、整形外科、そんな所だと思う。

 

僕はデングショック状態を起こしていた。後から調べれば、初めてのデングでここまで来た人の致死率は数十パーセント。

内臓出血から脳出血でエンド。

血圧が一気に低下し、起き上がると数秒で目の前が真っ白になり、意識が飛んだ。

 

それまでは車椅子移動だったのが、担架で運ばれた。腕のエコー検査、内蔵の画像検査、脳の検査、血液、血圧の検査。

脾臓、肝臓がパンパンに腫れ、出血寸前になっていた。

 

本当に辛い数時間。。。。。。

デング

 (退院前の写真)

回りの患者よりも最優先で、処置が施された。僕は自分の行く末を、先生達にゆだねた。

 

 

 

昼過ぎまで処置は続いた。午前の血液検査の結果が届き、通訳が渋い表情を浮かべる。

「輸血をひたすらしているのに、全くキミの血小板が上がらない。危ない状況だ。動かないで。」

 

 

最後の選択

 

僕はいつのまにか寝てしまっていた。薬がまた効いてきたのだと思う。

 

こんなコトを話すと、アホかと思われるかもしれないけれど、、、、

夢を見た。人生で大事な人の顔が何人か思い浮かんだ。その人たちが心配している姿が夢の中に出てきた。

 

「そっか、死んで自分に悔いがなくても、僕の周りで悲しんでくれる人がいてくれるんだ。」

目が覚めた。

 

 

生きなきゃ。生きろよ。オイ。

 

 

ナースコールを押した。

「フルーツジュースと、ミルクをたくさんください。栄養をとる。とらせてください。」

 

まずいミルクを飲んだ。一番飲みやすいミルクティーに砂糖をたっぷり入れてがぶりと飲んだ。フルーツジュースも沢山飲んだ。オレンジジュースを沢山飲んだ。

僕にできることはそのくらいだった。

 

領事館職員さんにいただいたポカリスエットの粉末でポカリを作ってもらった。ゴクゴク飲んだ。

 

生きなきゃだめなんだよ。死んだら何も出来ない。何のためにこの20年生きてきたんだよ。

 

 

こっぺ食堂

 

いつのまにか、自分の為、自分の為とばかり考えてしまっていた、この旅の趣旨を深く考えた。

「世界中の旨いモノを探して、みんなに体感してもらわなきゃ。知ってもらわなきゃ。その為に僕はこのインド・チェンナイの病院で戦ってるんだよ。」

「次の香港に行こう。体調をなおして、香港へ向かおう。」

 

 

僕はとにかく最後の馬鹿力を振り絞った。さっき飲んだ、ミルクで少し元気が出てきた。水分をとって、今度はしっかり自分の意思で寝た。

 

 

翌朝

 

コンコン!!!

通訳さんがいつもより1時間早く来てくれた。僕の事が気になってしまったのだと言う。

 

 

「昨日の夜の血液検査の結果がでたよ!血小板、35000まで上がってたよ!!!」

「本当???」

「まだまだ安静と輸血は必要だけど、君が回復している証拠だよ!」

 

通訳さんと握手をかわした。この日から、クリーム状の食事まで挑戦することにした。ここから一気に僕の回復が始まっていく。

 


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デング熱の恐怖5 デング出血熱との闘い


入院2日目。デング熱を発症してから6日目。

 

昨日は全てに感謝したい1日だった。親はもちろん、領事館員の方、通訳の方、看護婦さん。

 

入院2日目。これからデング出血熱との闘いが始まるのだった。

 

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辛い食生活と検査

 

「こんにちは。」ドアが開いた。

 

 

「今日からあなたの通訳を務めさせていただきます。△△です。タミル語と英語、日本語。全て使えるから安心してね。」

 

この日から、通訳が毎日朝から晩まで看病してくれる事になった。

 

 

入院拒否のときの話でもあったけれど、インドでは、付き添いがいなければ基本的に入院ができない。こうやって通訳を付ける事を条件に入院が認められた。

 

 

「あなた、あまり良くないから安静にしててね。」

 

昨日の血液検査の詳細を通訳の方が読み、医師と話をしたという。正式名は「デング出血熱」。デング熱患者の100人に1人の確率で感染する病気だ。

 

 

症状は、血小板量の低下による出血傾向が見られるという事だ。つまり、体に刺激を与えれば血管が切れやすい状況になるということだ。

 

 

 

 

そういえば昨日から、体が猛烈に痒い。指が日焼けしたように真っ赤に腫れ、蜂にさされたようにパンパンに膨らんできている。

 

これは毛細血管が切れている症状なのだと言う。

 

 

 

(コンコン)

 

 

 

看護婦がやってきた。今日も血液検査だ。

血液検査は毎朝5時半と、昼すぎの2時頃。眠気の中、血を抜かれる。

5本ほど血液を抜いていく。しかし、腕や手が腫れ上がり、針がなかなか刺さらない。

 

刺し直される痛みなんて全然辛いものではなかった。それよりも、昨日からの首から腰までの骨の痛み、特に痛かったのは、肘が圧迫される痛みが酷い。

 

 

強い痛み止めを処方された。痛み止めを服用すると辛さが少し和らいだ。

 

視界がだんだん狭くなってきているのが分かった。眼鏡をかけると、フレームが頭の骨に当たり、ガンガンと痛む。裸眼で過ごすしか無い。裸眼ではテレビすら見えない。

 

 

 

(コンコン)

 

 

 

 

世界で一番まずい朝食

 

食事が運ばれてきた。

 

昨日一日は点滴で過ごしたが、今日は食事を取ってくれという。これが悲惨だった。

 

 

咀嚼すると歯茎が切れてしまうため、流動食はおろか飲み物状の食事しか提供してもらえない。

 

 

「バターミルクよ。栄養取らないとね。」

 

一口含む。

 

 

 

「おえええええええええええええっ」

 

 

嗚咽が鳴った。

 

 

信じられないくらいまずいのだ。

 

 

中身はなんだか腐ったヨーグルトにバターが混ざったような味だ。それにしかも塩がまざっている。しょっぱい脂っこいヨーグルトだ.

 

 

「ごめんなさい、飲めない。」

 

 

「飲まないと元気にならないわよ。」僕の口元に無理矢理もってくる。

 

もう一口のんだ。吐いた。

 

 

 

「本当に無理なんです。自分で飲むから。」必死に伝える。

 

一生懸命作ってくれた看護婦さんや、飲ませてくれようとする看護婦さんに申し訳ない。泣きながら飲む。

 

 

「よく頑張ったわね。」

 

 

これには痛み止めが全く効かなかった。。恐ろしいほど繊細な味覚だ。

 

 

 

恥ずかしいなんて言ってられない診察内容

 

午前終わりの医師の回診。

 

 

「Koheiくん、大丈夫かい。」

 

 

「なんとか、OKです。生きてます。薬が効いて少しは楽です。」

 

「しっかりと経過観察をしていくからね。出血はないか?口内と目をみせてくれ。」

 

口の中を観察される。口内と白目の部分が出血しやすいらしい。幸いにも出血はない。

 

「じゃあ、看護婦さん、次の診察やるから手伝って。」

 

 

 

 

 

体が掴まれ、衣服をなぜか脱がされる。

 

 

下半身裸、仰向けの状態で、股間をまさぐりはじめた。

 

 

「え、、え、、っちょっとっっとまってください!」

 

「大丈夫、すぐ終わるからね。」

 

「いやいやいや!」

 

「ちょっとの辛抱だから。」

 

 

男性の急所の部分も毛細血管が沢山通っているため、出血が見られやすいらしい。赤くはれているものの、出血は見られなかった。

 

 

「オーケー。また来るからね。」

 

 

 

 

薬は1日2回飲む事ができる。早朝と、夕方だ。

 

 

昼になって首が痛み始めた。背中も。いやいや、腰も肘も膝も痛む。

 

 

「うぐうううううううううがああああああああ」

 

 

激しくもだえる。関節を家具にぶつけてしまった時のような痛みがひたすら続くのだ。

 

 

「うううううううーううううう」

 

 

通訳さんがフォローしてくれる。

 

「大丈夫かい?痛い?」

 

 

ナースコールを押してくれた。

 

 

すかさず看護婦さんが来てくれた。

 

 

「どうしました?」

「関節が痛むんです。。。。。。。。ぐううううう。痛み止め飲めませんか?」

 

 

「ごめんなさい、痛み止めは1日2回までしか飲めないの。もうすこしの辛抱。頑張って。」

 

看護婦さんが体をなでてくれる。10分ほどしたらおさまってくれた。

 

「助かりました。」

 

「いいえ、私たちの仕事だからね。」

 

 

 

 

世界一まずい昼食

 

今度は昼食がやってきた。実は昼食の前にも”11時食”があったのだけど、、笑

 

昼食は、なんと、、、キャロットミルク。

 

 

牛乳とにんじんをミキサーでかけて、塩を入れた物だ。

 

 

「おえええええええぇぇぇぇぇぇえええ」

 

なんと、こんな食事が1日9回も続くのである。

 

 

内容は、

バターミルク(最悪)

絞り立てライムジュース(1日に1回の楽しみ!これが最高に美味しい)

キャロットミルク

ホウレンソウミルク

バターミルク

オレンジジュース

バターミルク

ミルクティー

ミルク

 

これが何日も続いた。。。

 

 

 

 

突然の腕痛と出血熱との闘い

 

突然、腕が痛み始めた。

 

 

「うううぐうううういたいいいいいいいたいいいい」

 

泣いた。本当に泣いた。

痛すぎて泣いた。

 

「どうしたんだ!!!」通訳さん

 

ナースコールを押す。

 

「腕が、腕が。。。。」

 

 

痛む。痛む。何時間も縛られた後のような圧迫感。

 

腕を見ると、うっすらと赤黒くなっていた。

 

看護婦さんが来た。

「これはいけない!」

 

至急医師を呼んでくれた。

 

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(翌々日の腕の様子。医師かなんかが撮った奴。右腕は真っ黒。左腕は赤黒く変色している。)

 

 

 

とうとう出血症状が現れてきたのである。全裸にされてチェックが始まった。

 

 

気付けば、腕や足は倍以上にふくれあがり、真っ赤に。右腕は紫色になりはじめ、内出血が進行していたのである。

 

 

「ちょっとお腹がいたいです。。。」

 

 

トイレに立ったときに口を濯いだ。すると歯が真っ赤になっている。歯茎から血が流れているのだ。

 

 

 

「輸血だ。」

 

急遽輸血が始まった。

 

 

親などに連絡をする時間もなく、どんどんと血小板が注入されていった。

 

 

 

夕方になり、血液検査の結果が届く。

 

「血小板が20000を下回ってる。(正常値は150000-450000 白血病患者が10000-20000程度)内臓出血や脳出血の恐れがある。」

 

 

僕には伝えられなかったが、通訳にはそう伝えられたらしい。

 

 

僕はベッドから出る事を禁じられた。といっても出る体力もないのだけど、、、

 

 

この日から、最強の痛みをこらえる数十時間が続くのだ。

 

 

 


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デング熱の恐怖4 入院編


インド滞在8日目。デング熱を発症してから5日目。

 

保険会社から、入院しろという連絡を受けてからアポロ病院、そして地元も市立病院を廻ったものの、両方から入院拒否。

 

およそ7時間は苦痛の時間だった。ホテルに帰ったときには熱は40度。食事はもちろん喉を通らず、セブンアップと水、そしてルームサービスで残った塩を少しずつ含む。

 

 

 

朝起きると、信じられないような痛みが体を襲う。

 

目の奥が殴られるように痛み、首から腰までが折られるように痛い。ホテルの電話が鳴っても寝返りを打つのに1時間はかかる始末で、出る事すらできない。

頭がぼーっとし何も考えられない。腕や足はかろうじて動くものの、10分に1回ほど、肘や膝の関節がハンマーで殴られるような痛みが襲う。

 

 

領事館からの連絡

 

痛みで昼前に起きた。そしたら親から電話がかかってきた。

「領事館の人と連絡がとれて、数時間したらホテルまで来てくれるらしいから、頑張って。」

 

昨晩から親が在インド・チェンナイ領事館の方と連絡をとっていてくれたのだ。

 

電話がまたかかってきた。

「日本国領事館の○○と申します。いまからあなたのところに迎えにいって、アポロ病院にもう一度いきますから、ゆっくり寝ていてくださいね。」

 

 

とにかく、痛みから逃げ出したい一心だったので、すがるような想いで待つ。

 

トイレに行く事もおおかった。腹痛がおそっては、水しか出ない下痢が続く。しかし、体がいたいので這いつくばってトイレへと向かう。必死だ。

 

 

トイレに行ってベッドに戻ってもまた腹痛の繰り返し。その連続に疲れては寝て、痛みで起き、トイレに行きながら親と連絡を取り合うこと数時間。

 


部屋がノックされた。「コンコン」

 

 

「日本国領事館の○○と申します。福崎さんですか?ドアをあけられないようでしたら、こちらから開けます。」

 

 

ホテルのスタッフ、通訳、そして領事館の職員の方がベッドに横たわる僕の横に立つ。

 

 

 

領事さんが手帳をみせ、「福崎康平さんですね。私は、チェンナイ領事の○○と申します。あなたを助けるためにここに来ました。これから、アポロ病院への入院申請と、ビザの延長申請を行います。通訳の方は、あなたを日常的にサポートしてくれます。これから、アポロ病院へと向かいましょう。」

 

 

 

荷物をまとめ、車椅子を用意してくれた。

 

 

この時、僕の膝と腰は限界で、歩ける状態ではなくなっていた。

 

 

大きな車にのせられ、ホテルを後にした。

 

 

車では、少しでも楽になるように、と僕を寝かせてくれた。

「私は、後ろの荷物置き場でもなんでも座れますから。」と領事館員の方が。

 

 

 

アポロ病院へ到着。入院申請。

 

病院へと到着した。

 

僕は病院の片隅に座り、全てを通訳の方と領事館員の方がやってくれた。

 

感謝でいっぱいだったのだが、僕の体はそれどころではなく限界に近かった。座る事すら辛く、車椅子を降りて長椅子で寝っころがる。小さく呻きながら、背中の痛みをこらえる。

 

 

1時間ほどの申請を経て、僕は無事に病室へと運ばれた。

 

小さな個室だった。部屋への文句を言う余裕なんて無く、僕は「これで助かる。」と少し安堵した。

 

 

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領事館員の方が、僕にポットと、ポカリスエットの粉末、そして沢山のソーダ類を渡してくれた。

 

「これは、うちの女房がつくったみそ汁だから。これを飲めば絶対に治るからね。安心して。ポカリスエットも。体調悪いときはたくさん糖分と塩分とらないとね。」

 

 

僕は涙が出た。ボロボロ泣いた。そして、日本という国がなんて素晴らしい国なんだと痛感した瞬間だった。

 

領事館員の方と通訳さんは、いったん、手続きの為に病室を後にした。

 

 

看護婦さんがやってきて、僕を着替えさせ、点滴と患者タグを取り付けた。

 

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(なぜかこの写真だけ残っていました。。)

 

 

 

気付けば皮膚には無数の紅斑。指や足がバンバンに腫れてきていた。

 

 

 

 

 

たくさんの先生がやってきて、僕を診察する。注射器で5、6本も血液を抜き、腕や足の状態を確かめた。

 

「これからキミの血液を検査する。今日の夜か明日の朝には結果が出ると思うよ。」

 

 

 

 

病室での孤独

 

とりあえず、親や友人に連絡しないと、と思った。

 

 

しかしインターネットが使えない。

 

上半身をゆっくりと動かす事はできたため、初日にゲットしたSIMカードの設定を行う。

 

 

しかし、アクティベートができていなかったみたいで、使う事ができなかった。

 

しょうがなく、通訳の方に連絡を頼んだ。

 

 

 

テレビを付ける。タミル語の番組ばかりだったので、何も分からないので、時間のつぶしようがない。だけど極度に寂しさがこみ上げた自分を、この音声は少し勇気づけてくれた。

 

 

 

 

 

 

しかし、いざ入院したものの、すがりつく人もいなければ、話を聞いてくれる人もいない。数時間続くと、僕は絶望の淵に苛まれていた。

 

 

(いつまでこの病院で過ごすんだろう。)

(本当にデング熱なんだろうか。調べた限りでは5日で治る病気だったのに、治る気配がない。)

(手術とか受ける事になるのか?何がおこるの?)

 

 

その日は夜中まで眠れなかった。テレビのチャンネルをひたすらかえていると唯一楽しめたのは、インドでも放送されている、タミル語の「ドラえもん」と「クレヨンしんちゃん」だった。

 

言葉が分からなくても、なんだか言ってることが分かるアニメってすごいなと純粋に思った。

 

 

 

 

Dengue Hemorrhagic Fever

 

気付けば朝になっていた.いつの間にか寝ていたのだと思う。

 

 

 

担当の先生がやってきて、僕に病状を説明した。

 

 

「あなたの血液を検査した結果、Dengue Hemorrhagic Feverだということが判明した。これは極めて重篤な病気だ。あなたの状況を毎時間チェックする。目鼻口、そして皮膚から出血状況が起きたらすぐに伝えてくれ。」

 

 

Hemorrhagic???

 

 

聞いた事の無い名前だ。でもなんとなく状況は察した。ただのデング熱じゃ無いということだ。

 

おそらく、出血をともなうデング熱ということだ。

 

 

 

 

この時、僕の血小板の数値は31000(平常値は150000~450000)しかなかった。血小板というのは、血を固める作用がある。つまり、デング出血熱とは血が固まらない病気なのだ。

 

このときはまだそんな状況になるなんて知らなかった。

 

 

 

数時間後、病室の電話が鳴った。親からだった。

 

 

「大丈夫?元気してる?」

 

「うん、なんとか入院できたよ。」

 

「病状が悪化すれば輸血が必要だという連絡があった。いまから家族の誰かをそっちに向かわせようという話をしているんだけど、ちょっと領事館の人と連絡しようと思っています。」

 

 

「そこまで無理しなくて良いよ。あとはなんとかやってくれるだろうから。」

 

「そんな状態じゃないでしょ。また連絡する。」

 

 

とりあえず親への連絡ができて一安心。でも、輸血の話などを聞いて、自分の状況を案じてしまっていた。

 

 

でも、ここからがもっと大変な日々が始まるとは思っても無かった。

 

 

 


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