Skip to content →

カテゴリー: 考察録

 大好きな「サイタ」の会社を任されるようになった話


「サイタ」の新社長になりました。cyta_logo_normal_a

(プレスリリース)社長交代人事のお知らせ

2016年2月16日付で、「サイタ」を運営するコーチ・ユナイテッド株式会社の社長に就任いたしました。

この記事では、就任の背景と僕自身の想いについて、書かせていただければと思います。

コーチ・ユナイテッドが生まれたのは2007年。今年は「サイタ」が正式オープンして5年、CU社は10年目になる節目の年になります。5年と10年。「サイタ」は高いレベルのレッスンを全国で展開してきたと同時に、多くのアーティストやフリーランス、アスリートや日本在住の外国人など様々なプロフェッショナルやセミプロの能力を思う存分発揮できる土台として役割を担ってきました。

僕が関わってきたのは、2014年春の入社から2年間という短い期間ですが、僕自身もサービスがより便利に、より魅力的にユーザーに伝わるように様々な施策を行ってきました。おかげさまで、僕がチームに入る前と比べて、「サイタ」はサービスとして大きく成長することができました。

「こっぺに、この会社の未来を賭けたい。」

ある日、有安さんと、よく行く焼肉屋でのことでした。

いつもと同じようにビールを注文し、仕事の話などをしていたところ、有安さんから

「今日はとても大事な話がある。」

と切り出されました。

「こっぺに、もっとCU社の中心になって欲しいと思っている。そして、この会社をもっと成長させて、上場できるくらい立派な会社にしてほしい。」「そして、もう一つ。俺はCU社で一線から退く。こっぺが社長になって、この会社をどんどん良い方向に導いていって欲しい。」

僕は、有安さんがこの話をするまでどのくらい考えたのか、悩み抜いた中での結論なのか。「サイタ」のこれまでの苦労を聞いていたからこそ、衝撃を受けつつも、「わかりました。」とだけ返事をしました。

「好き」を仕事にする5年間。

僕は、学生時代から、自分が得意だった「食」の世界で、あらゆるチャレンジをしてきました。

「こっぺ食堂」。お店を1日単位で借りて、自分の飲食店を開ける仕組みを使って、自分自身がレストランを毎週末だけ開いてみたり、「飲食店版airbnb(仮題)」。飲食店の空き時間と、お店を持ちたい人たちを結ぶマッチングサービスをつくってみたり、「35カ国こっぺ食堂」。AirbnbやCouchsurfingなどを使いこなして海外35カ国を巡って、あらゆる家や食堂などで料理をふるまって現地人と仲良くなることで、現地で情報を仕入れて記事を配信したりと、様々なことをやってきました。

5年間、あらゆることをやってきて、メディアに取り上げて頂いたりすることはあったものの、自分は「食」の世界でしっかり身を立てるという所にはたどり着けなかったのでした。さらに、飲食店に怖いお客さんが来て暴れそうになったり、海外では伝染病にかかって死ぬ寸前になったりと、色々と大変な経験もありました。

「好きなことやって、食っていくってのは本当に大変なことだ。」

「個人が大活躍できる、世の中をつくる。」

そのときに思いだしたのが、6年前に少しだけインターンをしたことがあった、「サイタ」でした。当時、「サイタ」は正式リリースする前で、マンションの一室でサービスを磨き上げている最中でした。

「世の中のあらゆるミュージシャン、アーティスト、アスリートなどが儲けられるサービスを作る。」

有安さんからそう聞いて、衝撃を受けたのを今でも覚えています。

世の中は、才能に溢れていると思います。なのに、インターネットは、エネルギー溢れる人たちを活かす土台になりきれていないと思っています。新人カメラマンの給料はとてつもなく低く、寿司職人は何年も修行し、美容師はハサミを持たせてもらうまで3年はかかる時代です。

インターネットの力をもってしても、まだまだ、その流れを変えることはできていません。しかし「サイタ」は、そんな時代でもたくさんの素晴らしいコーチを輩出し続けてきました。そこで、「サイタ」をもっと大きくより良いサービスにし、世界中のプロフェッショナルが大活躍できるようなサービスにしようと、入社を決めました。

 

次の10年のステージに、売上が100倍になるような土台を作る

cu_logo_a

「サイタ」はこの1,2年で、売上が増え、収益も安定するようになってきました。これまでは「サイタ」というプラットフォームをどのように、事業として安定させていくかということで走り続けてきましたが、ようやく落ち着いてサービス自体を深く問い直し、より良いサービスにしていくかということを考えられるフェーズに入ってきました。

しかし、まだ世の中を良い方向に持って行けたとは考えていません。この売上規模の100倍や200倍にして、はじめて胸を張ることができるのだと思っています。

 

「サイタ」事業の転換。Flow型サービスからStock型サービスへ。

gl_logomark_01

「サイタ」は、これまでは先生と受講生を結ぶマンツーマンレッスンのプラットフォーム事業のみでしたが、マンツーマンやオフラインでのレッスンという領域を超えて、大きなチャレンジをしていきます。

日本最大級の習い事サービス「サイタ」が、グループレッスン事業をスタート

先日、リリースでも発表したように、グループレッスン事業をスタートしました。その内容には、以下を盛り込みました。

・受講生向けメディアの開始
 レッスンをその場で行うだけでなく、レッスン内容をすべて映像や写真、音声などでコンテンツ化し、自社メディアで配信いたします。受講生の振り返り資料として使えるだけではなく、カメラを学びたい多くの方に届けられるように公開いたします。

このグループレッスン事業は、ただ1対1レッスンが対集団になったというわけではなく、「オフラインで、板書で教えるような古い」イメージのある習い事を、インターネットとモバイルデバイスを活用してStock価値のあるサービスへと一新していく挑戦の第一歩と位置づけています。

プロの仕事や、教える現場は資産に満ち溢れています。実際に僕が「サイタ」でレッスンを受講してみて、その素晴らしさに感動しました。しかし、なかなかそれを有効活用できるようにはなっていません。

「サイタ」は、これまでの講師と受講生を結びつけるFlow型のプラットフォームだったものから、レッスンをすればするほど資産が溜まっていくStock価値のあるサービスへと変えていきます。

世界と戦えるサービスを10個つくる。

また、「サイタ」は、「レッスン」という切り口でしかありません。世の中では、物流や商品取引、あらゆるサービス提供があります。「レッスン」という切り口を超え、個人が大活躍できるようなサービスをこれから、山のように生み出しつづけていきたいと考えています。

美容や健康、食、ものづくりなど、日本には世界に誇れる文化や産業が沢山あります。あらゆるノウハウや技術を、コーチ・ユナイテッド株式会社を通して、世界に向けて発信できる土台を作っていきたいと思います。

株式上場

会社としても、強いチームにしていかなければなりません。そしてもっと会社を知ってもらわなければいけません。今の売り上げの100倍、200倍を目指し、上場を数年以内の、一つのマイルストーンとしてガンガン進んでいきたいと思います。

素晴らしいサービスは、素晴らしいチームから

CU社は、僕が入社したときよりも、一層面白いサービスを作っていけるチームになってきました。しかし、まだまだやりたいことに向けて、たくさんの力が必要です。

「サービスを一気に新しいものに変えていく、「サイタ」を上回るようなサービスを作っていく。」

という想いに共感していただける方がいたら、ぜひご連絡をいただければ有難いです。ただし、ひとつだけ条件があります。一緒に頑張っていきたい人は、「つくることができる人」。

特に新しいものを作って、それを壊してでもまた、より良いサービスにしたいという強いこだわりを持てる人と仕事を一緒にしたいと思っています。

「つくる人」であれば、業種は問いません。エンジニアやデザイナーはもちろんのこと、手書きでも、パワポでも、既存のサービスの組み合わせでも、手を動かしてユーザーに見せる回数を沢山こなせる人たちと一緒に仕事をしていきたいと考えています。

Facebookでも、メールでも、Wantedlyでも、ご連絡いただければとても嬉しいです。



 

最後に

CU社を選んで入ってくださった皆さん、まだまだ未熟で失敗もたくさんあると思いますが、頑張っていきたいと思います。どうぞ、これからもよろしくお願いします。

そして今回、このようなチャンスをつくってくださった有安さんに感謝します。これからも、よろしくお願いします。

 

koppeariyasu

写真は、満開の河津桜を背景に、代々木公園で撮影したものです。とても、綺麗でした。


Leave a Comment

パンケーキまみれの世の中


 

とあるパンケーキ屋

僕の家の近くには、とあるパンケーキ屋がある。

 

申し訳程度のフルーツと、植物性か動物性か分からないホイップが大量に乗っている。

このお店は、瞬く間に有名となり毎日のように観光客が訪れて列を作っている。

Pancakes

いつからか、「朝食はパンケーキ」という風潮が流れ、まだまだパンケーキを出す店が増えてきている。客の全く来なかった喫茶店もパンケーキを出した途端繁盛店となる始末。もちろんいつかは淘汰されてゆくのだろうけど。

 

 

油と砂糖、そして粉もの。栄養のかけらもないこれらを集めたお店が世の中にあふれかえっている。

 

 

 

横浜の大好きな定食屋

僕が大好きな朝食は、横浜の中央卸売市場にある、「おてる」という食堂だ。

おかわり自由のご飯とみそ汁に加えて、小鉢と、その日の新鮮な魚を刺身や、煮付けにして出してくれる。定食は700円ほどで食べる事ができて、そのお店を後にすると歩けないくらいお腹いっぱいになる。

 

Related building of Yokohama central wholesale market
僕の大好きなのはアジ定食だ。その日の新鮮なアジを刺身にしてくれて、15切れ以上ある刺身をぱっと出してくれる。

 

「はい船長、アジ定食ね。」

 

脂の乗ったアジの刺身と白飯をかきこんでその日のスタートを切る。

 

こんなにも良い朝食を出してくれるのに、僕がお店にいく時には、客は多くても2、3人だ。

 

 

 

儲かるパンケーキと儲からない定食

食の基本は、「その場所で一番美味しくて安い物を」「一番美味しい食べ方で食べる。」だと思う。

なのに、いつの間にか、どこでも食べられるようなモノを出す料理店ばかりが増え、安くて早くて、旨味成分が多い物が人々に受けられている。

 

旨味成分といっても、多くは砂糖や油、化学調味料をまぜこんだ人工物だ。それを「○○発」とか、「○○発祥の」とか言えば集まってくる人も少なくない。

 

 

けれども、そういった店は儲かってゆき、僕が大好きな定食屋みたいなものはどんどん姿を消していってる。

 

 

母が作ってくれるおいしいおにぎりが、マクドナルドのハンバーガーに代わり、ボリュームたっぷりの定食やがいつのまにか牛丼屋に代わり、会社の近くにある美味い酒を出してくれる小料理屋がチェーンの居酒屋に変わってゆく。

 

かつおと昆布でゆっくりととっていた出し汁が化学調味料に代わり、日々食べているお菓子も防腐剤まみれだ。

 

「味が美味しければ良い」という世の中の流れはおかしい。自分が美味しいと思っている加工食品の裏面を見てほしい。見た事もないカタカナがたくさん並んでいるから。

 

 

こんなことが起きているのは日本だけの話じゃない。北欧ではバーガーショップが急激に増え、パリの昼飯といえばフライドポテトがたっぷり入ったケバブだ。僕の大好きなマルセイユの伝統的ブイヤベースのお店は残り3件だけになってしまった。

 

 

便利になることは良い事なのかもしれないけど、便利さだけを追求する事、ニーズに対して提供する事のみが世の中の正しい方向性なのか、本当にわからなくなってくる。

 

少なくとも僕は、「おてる」のような店がなくならないような世の中を支持したい。

 


Leave a Comment

喰いものに惹かれて


 

気がつけば、日本を離れてから1年ほどがすぎ、ブログの更新も久しぶりとなってしまいました。

えらそうなことを書こう、書こう、と思いつつも下書きばかりが溜まりつづける毎日でしたが、近況報告だけでも、と思いここに記します。

 

 

日本帰国。

1月の末、最後の地カタールを経て、日本に帰国しました。「世界の国には、まだ知らないような絶対に美味しいモノが1つはある。それを探しにいこう。」という純粋な気持ちで、日本を離れ、各国で自分自身も現地の人に料理を振る舞いながら旅をしてきました。

 

最初の国はベトナム。ホーチミンのタンソンニャット空港から、初日の宿にいくまでに、ベトナム語が読めない、タクシーの乗り方も分からない。「ああ、日本を離れてしまったんだ。」ひとりぼっちの自分との戦いがはじまりました。それから、アジアはマレーシアやタイ、スリランカ、インドなどと旅を続けていき、全ての国で民宿やホテルではなく、民家やゲストハウスに泊まり、近くの飲食店のキッチンなどを借りれるように交渉して、休みの日に店員さんや、知り合いなどを誘って、料理を振る舞わせてもらいました。

英語も完璧に話す事ができない変な日本人がアジアの国を訪れて、「なんだ、コイツは。」と思われたのかもしれませんが、僕がみんなに料理を振る舞うと、一気に仲良しに。食のパワーを知った2ヶ月間でした。

 

 

しかし、「毎カ国で、こっぺ(僕のニックネームです。)の食堂を開いて、世界中の人に料理を振る舞ってやるんだ!」という課題は自分には重すぎたのか、5カ国目のインドにて、デング出血熱という大病を発症してしまいました。

 

2週間の入院。目や口、鼻からは血が流れ、全身の血管が内出血を起こした状態の中、数十パーセントの致死率と言われ、そんな状況の中、 日頃肥やしていた贅肉のおかげで、みるみる減る体重が僕のエネルギーとして役割を果たしてくれました。その後、日本に緊急帰国し、2ヶ月ほどのリハビリを行いました。
気付かされた大事なこと。

50カ国を巡ろうと目指していた自分にとって、最悪の足止めでした。しかし、この出来事はかえって、自分に取って最高の病気でもありました。
病気を発症するまでは、各国で料理を振る舞っていました。その最初のフィードバックする機会を自分に与える事ができました。「なんで、あの国でご飯を作ったときは、みんな喜んでくれたのに、この国では喜んでくれなかったんだろう。」

 

僕は、1カ国1週間のルールで海外を巡っていました。

・最初の4日間は現地の料理をひたすら食べ続ける。

・3日間は、現地人しか行かないような店には必ず行くこと。

・5日目は食材を探し、6日目にこっぺ食堂を開く。

・7日目は出発前、一番おいしかったものをもういっかい。

 

こういったルールで毎カ国を過ごしていました。各国でこっぺ食堂を開き、いろんな人のリアクションを見て(感想をきいてもなかなか、おいしいしかいってくれないので。。)いました。

 

病床で、自分はなぜこんな旅にでたのか、なぜこっぺ食堂をやっていたのか、料理がすきなのか、食がすきなのか。

 

 

こっぺ食堂

僕は都内で、月に数回ほど、「こっぺ食堂」というお店を運営し、自分自身が料理人となって、料理を振る舞っていました。その時は、とにかく自分が作れる、一番美味しいと思う物を作る日々でした。それを、「おいしいね!」と食べてくれる人も多くいらっしゃり嬉しい限りでしたが、中には心から喜んでくれてないないのかな、そんな方たちもいらっしゃいました。

 

僕はその原因は自分の料理やオペレーションが不足しているだからだ、ときめつけていましたが、その病床で、ふといろんな点がつながったような感覚がありました。

 

「みんながごちそうだ!と思う物は、決して美味しいものではなくて、その食する事を通じて、心が豊かになったり、楽しくなったり、人生が豊かになる作用をもたらすものなんだろうな。」ということを感じました。

 

 

スリランカの家庭で。

ある日、スリランカのある家庭で、「日本のおいしい料理が食べたい!」 といわれ、僕は、初日、「焼き鳥」を教える事にしました。

 

スリランカの肉はもちろん丸鶏。自分で部位を切り分けていきました。「スリランカでは、ぜんぶ一緒に煮込むけど、日本では部位ごとに分けて食べるんだよ。」などといいながら、身を切り分け、焼き鳥のたれをつくることに。しかし、この家庭はイスラム教。みりんもお酒もないのです。

 

考え抜いた僕は、お酢を煮詰めて砂糖、鶏ガラ、醤油を加えて軽く煮詰めてタレをつくりました。「これで、この国で焼き鳥がたっぷり食べられるよ!」

 

そして、みんなで串刺しした鶏肉を網に乗せて、タレに浸しては焼く事を繰り返していくうちに、スリランカのおじちゃんが親戚みんなを呼び、焼き鳥パーティーがはじまりました。

 

「おいしいね、おいしいね。」とみんな大喜び。みんなでご飯を作り、目の前で作る。決してスマートな食べ方ではないけれど、僕らに取ってその日の晩ご飯は、最高のごちそうでした。

 

最後にお母さんが、「このタレはまた使える?何日持つの?」などと聞いてきたので、「タレを足していけば何年でも使えるよ。」と言うと、「わたしにもできそうだね。」と喜んでくれました。

 

 

日本への帰国

 

帰国自体はつらい物でした。皆に大声で、「行ってくるぞ!」と行ったのにもかかわらず不甲斐ない自分がいました。しかし、スリランカの家庭で出会ったような素晴らしい食のシーンを回想できたおかげで、気持ちが楽になりました。

 

思い返せば僕が「食」に興味を持っていったのも「おいしいものがあったから」ということだけではありませんでした。小さい頃から、親に色々な場所に連れて行ってもらい、熊本の山奥で渓流釣りをした後に食べる流し素麺、宮崎をドライブして腹ぺこで出会った伊勢海老フライ、毎日2時間かけて通った学校近くの店で何玉も替え玉した久留米ラーメン。そして、文化祭で友達のみんなとやけどしながらつくった焼きそば、ホットドック、ケバブサンド。

 

感動するような、記憶にのこるような素晴らしい食と出会ったときは、かならず、様々なストーリーがありました。それが食の本質なんだ。その感動をみんなに伝えたいから、自分はこんなことをやってるんだ。

 

正直、日本に帰ってきて、リハビリをしている最中は、ドクターストップもかけられ「もうやめたほうがいいのかな。」と思うこともありました。「再感染の疑いのない国はどこですか???」と病院の先生にたずね、「ヨーロッパや中東なら、その病原菌をもつ蚊はいないよ。」と言われたので、「よし、ヨーロッパだ。」ということで、日本を再出発する事に決めました。

 

 

感動グルメ、ヨーロッパ。

 

「自分が本気で楽しまないと、食でみんなを幸せな気分にできない。」確固たる自信を持つ事が出来ました。すべての国でこっぺ食堂を開くというルールは捨て、純粋に自分が最高だと思うもの、現地の食材で一番おいしいもの、綺麗な場所、やさしい人たち、とにかくどん欲に探す毎日を始めました。1日平均20キロを歩き、ロシアから、北欧、西欧、南欧、東欧、そして、中東諸国を4ヶ月以上かけて巡ってきました。

 

フィンランドで料理を振る舞う機会がありました。

 

参加者は僕を含めて7名。参加者はフィンランド人に加えてブラジル人、スペイン人など。僕は数日巡ったヘルシンキで出会った友人たちにご飯を振る舞う事になりました。フィンランドはノルウェーの近くである事から、サーモンや魚卵が豊富にとれるのです。

 

僕は、2kgはあろうかというサーモンをまるまる購入し、フライパンでグリルしました。そして、それにフィンランドで採れる野菜をたっぷりとのせ、バターと味噌だけで味付け。北海道料理の「鮭のちゃんちゃん焼き」を作りました。フィンランドでは、ムニエルやグリルにすることがほとんどで、味噌で味付けするなどは全く想像出来なかったようで、みな大絶賛。

 

他にも、「SUSHIは刺身だけじゃなくてもつくれるんだよ。」と、スモークサーモンとハーブのにぎり寿司や生ハムとチコリーを使った創作寿司、それに合わせたのは、フィンランド産のスモークサーモンと魚卵の茶碗蒸し、その季節にしか取る事の出来ないジロール茸の炊き込み御飯。他にもたくさんのご飯をふるまいました。

 

みんなとにかく大喜び、僕も海外に戻ってきて、初めてのこっぺ食堂ということもあり、嬉しい物でした。そして、最後に、

 

「Thank you Kohei, thank you for wonderful experience.」という言葉が皆から。いままでは、「Thank you for your nice food.」などと言われていたのに、素敵な体験をありがとう、言われた事に、僕は部屋でひとり涙を流してしまいました。

 

「ああ、ぼくのやりたかったことはこれだったんだな。」そう感じました。

 

 

その後も様々な国で料理を振る舞いました。その地でしか食べられない食材を一番美味しい食べ方で、それも知らないような食べ方で食べさせてあげる。これが、みなにとって最高の時間を提供してあげられる一つのコンテンツとなってくれました。

 

La Corunaで出会った最高のごちそう

僕自身も最高の食事に出会いました。正直行って、北欧を過ぎて、ドイツ、フランス北部、デンマークなどを巡っている最中は同じ料理ばかりで飽きる事もありましたが、僕の衝撃はスペインで起きた事でした。

1ヶ月ほど、自分の中で、「これはうまい!!!」と思える物がなく、毎日が退屈になりはじめていました。ホテルでゆで卵とパンだけでさっぱりと済ませる日もあったくらいでした。

僕は何を思ったのか、「よし、スペインの最西端に行けばうまいものがあるんじゃないか!?」と思い、飛行機を乗り継ぎ、その地へと向かいました。

La coruna.小さな港湾都市でした。

 

そこでホテルから、1時間半ほど歩いた場所に、気になるお店がありました。ステーキ屋。「ああ、今日も疲れたし、肉にするか。」なんとなく入った店が衝撃の店でした。「このステーキをください。」注文すると、15分後、700gはあろうかというTボーンステーキがきました。「これは特別な熟成肉だから、塩だけで食べるんだよ。」

 

ああ、とんでもないものをたのんだなあ。などと思い一口。「これ、牛肉ですか??」と思えるくらいにミルキーで濃厚な肉。気付けば汗をかきながら一瞬にして食べ尽くしてしまいました。顔より大きいお肉がなんと、1500円。日本では信じられない値段でした。

 

「ああ、ここまできてよかった。」本当にそう思える日でした。

 

次の日、「今日はシーフードだ!」と思い、目当ての店へ。しかし、La Corunaは起伏が激しく、なかなかある国は大変な道筋でした。気付けば3時間。閉店間際の店に滑り込み。「とびっきりのシーフードをください。」と注文する。

 

すると、立派な男性の胸板はあろうかという銀皿のプレートにカニが3匹、手長海老、ホタテ、沢山の貝、などがやまもりになって出てくるのです。

それも蒸したり、焼いたり、オーブンで焼いたり、サフランの香りをつけたりと、様々。

 

だれがそれをみても、「これは最高のごちそうだ!」と思えるくらいの料理で、僕は涙が出そうに感動しながら、店員さんに握手をし、素晴らしさを伝えながら料理を食べていきました。この地に来てよかった。2日連続で感じる事が出来、その感動を多くの友人に電話するほどでした。

 

ヨーロッパは多くの国に行きましたが、LaCorunaは特に素晴らしい都市のひとつでした。

 

日本への帰国、これから。

そんな食い倒れの毎日をすごし、1月末、日本に帰国しました。気付けば32カ国を巡り、ユーラシア大陸のほとんどのごちそうに触れてきました。

 

今度は、僕がみなさんを喜ばせる出番だ、と思い、日々新しい事への挑戦の準備をしている最中です。

 

有言実行は出来ないタイプなので、なかなかこういう場所でかいたりするのは好きじゃないのですが、いつもお世話になっているみなさまにもこれからやろうとしている事を、きちんと報告して責任を背負って頑張っていきたいなと思っております。

 

僕は、ずっとやりたい事がいくつかあります。その一つは、食事を楽しくする事なのですが、レストランのような、お客として、ただすわって料理の配膳を待ち、食べて帰るような形ではなく、もっとお客さんが参加して楽しめるようなものを作っていきたいなと思っています。みなさん、料理はできなくとも、お母さんと一緒に餃子を作った事はあると思います。その餃子がおいしいように、自分が考えて作った物って格別に美味しく、そして記憶に残るほど楽しいものになるのだと思うのです。

こっぺ食堂もそうでした。お客さんなのに、 沢山の方が力不足な僕を手伝ってくれました。僕はそんな時間が何よりも楽しかったですし、そういった状況もほうが、お客さんとしてきてくれた方も楽しんでくれていました。

なので、一つは、「料理ができなくとも、レストランを超えるような品質のお店を誰もが一夜限りのプロデュースをできる」ような仕組みを作っていきたいと思っていますし、作り始めている段階です。

 

もう一つは、同じように「全く手を汚さずに料理ができる仕組み」です。食べる事が好きでも、キッチンが狭かったり、なかなか時間がなかったりと料理をすることができない人も多いと思います。そういう人たちがまったく手を汚さずとも、自分の好みの食材、調理法を考えて、料理をつくることができる仕組みを作っていきたいと思っています。

 

この二つは、なかなか時間のかかると思います。roomdonor.jpを作る前に一度挑戦してうまく行かなかったのですが、また、挑戦してみたいな、という思いを持っています。

 

 

また、海外を巡って、日本の食の誇りも同時に思いました。「この国には、うどんを持って行きたい。この国には、和菓子を持っていきたい。」そういったことを感じながら、テストでいろんな国で日本食をみんなに食べてもらう機会をこっそりと作っていました。その中で好感触を得た物も沢山ありました。今回の旅をきっかけとして、日本を旅立ち、いろんな国で、日本の食の素晴らしさを伝えていく立場にもなっていければなと思っております。同時に、海外には素晴らしい食材、食事、食卓が沢山ありました。そういったシーンを日本に持ってきて、皆に喜んでもらうようにも尽力していきたいと思います。

 

 

デング出血熱で本当に一回死にかけました。あの時、「正直、もういいかな、悔いないかな。」などと一瞬思った事もありました。しかし、そのときに出てきたのは、「こっぺ食堂」に足しげく通ってくださった皆さんの笑顔でした。そういった人たちが本当に喜んでくれるまでは死ねないな、と切に思いましたし、死とは、こういうものなんだな、という見つめる機会にもなりました。

 

ハイパーモードで、今年1年、飛躍の年にしていきたいとおもいます。

 

 

こっぺ


8 Comments

20歳で会社をつぶした1年間の記録


久しぶりのブログ記事となってしまいましたが、この記事を書き上げるのに3、4ヶ月かかってしまいました。恥ずかしい話で、叩かれる事も承知で皆様への報告もかねてこの記事を書かせて頂きました、お時間ありましたら是非読んで頂ければなと思います。


スタートアップブーム、開演

2011年春。世間はスタートアップブームでした。ボクのまわりの優秀な人たちは、新しいウェブサービスを作って世の中をオモシロクしていく、そんな環境でした。

この秋、IVS Launch Padで優勝した「すごい時間割」で有名な@mocchiccくん達の会社、Labitは4月1日。先日サイトのリニューアルをしてにぎわせた「trippiece」の@ishidaianくん達は、3月31日に会社を設立。TechCrunchで驚異的なにぎわいを見せた「wondershake」の@Doubles9124くん達なども4月のTeclosion Spring 2011で優勝するなど、順風満帆なスタートを歩んでいました。

そんな彼らは、東日本大震災の起こる前、2011年始めや、2010年の終わりあたりから準備を初めていました。ボクが鈴木くんにお会いしたのは、2010年の12月。もっち君にお会いしたのは、翌年3月でしたが、その頃にはもう彼らはサービスのローンチへと準備を着々と進めていました。そんな中、「新生ネットエイジ」が2月にスタートし、「Samurai Fund2号」が1月末に設立される等、国内でシードアクセサレーターが台頭し、いわゆる2011年の「スタートアップブーム」が始まりました。

Pict:www.dirjournal.com/guides/social-media-marketing-enough-is-enough/


能力を“売り買いできる”バザールをつくる

そんな華やかしいスタートを遂げる彼らの横で、ボクらは細々と準備を進めていました。

2010年、11月。ボクは、みなとみらいのスターバックスでノートを書きなぐっていました。

2010年は、ボクにとってすごく有意義な年でした。料理が得意な事を生かして、ソーシャルメディアのみで集客を行う「こっぺ食堂」というお店を渋谷の青山通り沿いにオープンし、週1や1週間営業等とランダムに営業を行っていました。「場所もない。資本もない。あるのはやる気と多少のタフさだけ。」そんなボクは、最初は1人きりで、店を切り盛りしながら、営業状況をUstreamで配信したり、お客さんに「おいしい!」とつぶやかせるなど、今話題のステマをさせたりと楽しみながら営業を行っていました。次第にお客さんも入るようになり、20名程度収容の小さなお店でしたが、1日に100人近く来ることもありました。お店だけに留まらず、こっぺ食堂をきっかけにして、イベントに出張したり、ホームパーティーに呼ばれていつもと違ったパーティー料理を作ったりと、色々なことをやっていました。

すごく楽しかった反面、ボクの中には大きな大きな葛藤がありました。「こんな細々とやっていたって正直言って、自分は料理の力で言えばシェフには到底およばない。だけど、みんなはシェフと呼んでくる。違う。そんなのはボクじゃない。でも、自分で作ったモノを目の前にいるお客さんに提供できて、それでおいしい、楽しいと言ってくれる。こんな仕組みを世の中に作ってみたい!」

ボクは半年ほど続けたこっぺ食堂を一時、お休みする事にしました。それから、2ヶ月、ひたすら、ノートを書きなぐり、本を読み、ネットでいろんな仕組みを探し、次の道を見つけ出そうと躍起になっていました。

そんな中、ある一冊の本に出会いました。

pict:http://www.levision.net/?p=192

「謎の会社、世界を変える。 エニグモの挑戦。」

みなさんは、「BUYMA」というサイトをご存知でしょうか。「BUYMA」は、日本では売っていない商品や、高額な商品を、現地在住の日本人が「バイヤー」となってサイトに掲載し、欲しいというユーザーの要望があれば、個人輸入して商品を発送するという「個人同士が取引するオンラインマーケット」です。
「BUYMA」を運営するエニグモの創業記が書かれたこの本には、あることが強く主張されていました。
それは、「個人が活躍するような世の中を作り出すこと。」でした。

僕にとってこの本は衝撃でした。昔から、Fiverrという、自分の能力をワンコインで販売するマーケットであったり、面白法人カヤックの運営する「ARTMETER」、エニドアの運営する「Conyac」、Googleが福利厚生にも導入したというソーシャルパシリマーケットである「Taskrabbit」など、こういった個人が活躍するウェブサービスはそれぞれ、単体で見ていてめちゃくちゃ面白いなと思っていました。
ボクは、この本や、「BUYMA」を通して、様々な点として存在していた事が、全て線となり、ずっとやりたかった事が、急に見えてきました。

こっぺ食堂で見えた事は、「自分の能力を可視化することで、色んな人がそれを必要としてくれる。自分は何が得意で、こういう事ができますよというリストをオンラインに作り出せばきっと面白い仕組みが出来るはず。」ということでした。

とにかく、スピード重視なボクは、一緒にやるなら絶対にコイツだと心に決めていた友人を、Skypeで誘い出しました。彼も、同じような問題意識を持っていて、プログラマーとして個人で仕事を頼まれる事があり、その仕事を受ける入口の仕組みを作る事には、とても共感を持ってくれました。

「モノが個人同士で取引できるオークションという仕組みができて、世の中は大きく変わった。オンラインフリマはあたらしい販売方法を作り出した。Kickstarterなどはお金の新しい流通を作り出して大きな変革を作り出した。じゃあ、ボクらは、能力を自由に取引できるバザールをつくろう!」

それから1、2ヶ月。色々と調べるうちに、これらはクラウドソーシングと呼ばれていて、2009年あたりに小規模のブームが起きたものの、あまりウマくいったサービスはなかった。ということでした。

ボクらがとても面白いと感じていたサービスは、もうとっくにサービス化されていて、100個くらいの類似サービスがありました。しかし、どのサイトもあまりうまく行っているものはなく、当時は、プログラマークラウドソーシングであるoDeskや、デザイナー向けのcrowdSPRINGあたりくらいしかイケてるサービスはありませんでした。

僕らはそのイケていない共通点は、どのサービスモデルも、匿名性のプラットフォームである事だと答えを出しました。
「オークションであれば、モノが信頼の担保をすることができたから匿名性のサイトでも、うまくヒットしたけど、クラウドソーシングは信頼の源は人の能力だから、相手を信用できるかどうかに全てかかっている。だから、TwitterやFacebookの人のつながりや、フォロー、友人の人数、そして取引履歴等を加味した、人を評価できるような、“PageRank”ならぬ”HumanRank”をつくりだせばウマくいくんじゃないか。」

ボクら二人はその仮説をもとにサービスを作り出す事にしました。超優秀なエンジニアをもう1人加えて、3人で、早速会社も立ち上げて準備してしまおうということでとにかくスピードを意識して行動していきました。

そして、2011年、1月18日。ボクらは、「Bazaarie株式会社」を立ち上げました。人々が古代から行っていたようなモノを作ったり、見せ物をしてお金をかせいでいたバザールを再現する。そんな想いを込めて「バザーリー」という名前を会社につけました。

震災とroomdonor.jp

それからは毎日のようにパソコンと向き合う日々が始まりました。IT系のゼミに所属していることもあって、いろいろと情報量は多かったのですが、いざつくるとなるとがむしゃらに色んなモノを読みあさったりアドバイスを求めていく日々。ただ、新しい仕組みを自分たちが作ってやるんだという想いだけは誰にも負けずに頑張っていました。

そんな中、あの日がやってきました。

3・11。日本全体が大きく揺れ動いた、東日本大震災です。

ボクはあの日、横浜駅で地震を過ごしました。家に急いで帰宅したものの、避難所に避難している友達をパシフィコまで探しに行ったり、あとは、オンラインや街頭の募金をするくらいしかできませんでした。>/p>

そんな中、ネットエイジ西川さんとのやり取りの中で、「roomdonor.jp」の構想が立ち上がりました。ほんの2、3ツイートの中でしたが、それがスタートでした。

内容は、「仮設住宅に変わるような新しい被災者住居救援の仕組みを作り出す事」でした。個人の余っている家や部屋を活用して、被災者がすぐ住めるような環境をつくりだす事。これは、ボクがやりたかった、個人の活躍する世の中を作り出す。という想いにすごく近かったので、友人2人と話し合い、トップスピードで作る事にしました。


http://roomdonor.jp/

3月14日に構想が始まり、18日にローンチしました。本当に優秀なエンジニアがすぐ作ってしまった事に驚きを隠しながらも、Twitterなどで告知し、サービスを立ち上げました。

結果、2時間で10人からの住居提供、翌日には、134人、3日で1000人、1週間で2000人分の住居が提供されました。メディアにも大きく紹介され、テレビや新聞など合わせて100社近くから取材依頼をいただきました。

実際に被災者の方からも2000名ほどから、入居依頼があり、ルームドナーからの提供数も600名分ほどとなりました。300名ほどがルームドナーを利用して入居し、仮設住宅に変わるあたらしい被災者救援の仕組みを作る事ができました。

急激に上がった評価と苦悩

ボクはroomdonor.jpを通して、様々なことに出会いました。NHKに密着取材されるなんてことも初めてでしたし、新聞の社説にボクらの活動が載る事も初めてでした。博報堂や電通との共同でルームドナーの取り組みがトランプになったりするなど、たくさんの社会人が評価していただき、いろんな会にも呼ばれ、多くの期待をいただきました。

しかし、そんな上がり続ける評価の中で、ボクらの感覚の麻痺、そしてチームの崩壊がどんどんと迫ってきている事が、ボクは知る由もありませんでした。

新サービスの開発に取り組む為に、roomdonor.jpの運営を学生ボランティアに引き継ぎ、本サービスの開発を再開しました。その時に、roomdonor.jpで上がった評価がボクらの頭の中にへばりつきました。

「クラウドソーシングサービスを作るより、roomdonor.jpをもっと発展させたサービスを作った方がヒットするんじゃないか。」

「クラウドソーシングサービスは、ジャンルの選定やカテゴライズがめちゃくちゃ難しい。その前に実際に潜在的なユーザーが多いと見込まれるroomdonor.jpを発展させよう。」

確かに、ボクらの目標は個人が活躍する世の中をつくることでした。しかし、次第に次第にボクらの本当のやりたい事、やれる事とは少しずつ遠ざかってしまいました。

エンジニア2名と、ボクを加えた3人のチームでの仕事の分担は、フロント、バックエンドの作業と、ボクがデザインやマーケティングを中心に行っていました。エンジニアの2名は、ずっと色んなサービスを作ってきたので、方針転換には柔軟に対応できたかもしれませんが、ボク自身は次第に、出来る仕事が少なくなっていました。

pict:作りかけのデザイン案

正直言って、デザインは三流、マーケティングはちょっと得意だけど、サービスローンチ後の仕事。クラウドソーシングの仕組みであれば、まずジャンルを料理が得意な人に選定して、仕組みをくみ上げていく事はできましたが、住居マッチングのシステムでは、ボクは正直、何をすればいいのかわからないまま、がむしゃらに作業をしながら、ただただ時間だけが過ぎていきました。

このとき、本当に「ああ、ベンチャーは役割分担なんだな。」と感じました。頭では分かっていた事ですが、ウェブ業界で、自分が貢献できることはそんなに無い、まだまだ実力不足なんだ。そう気づいたのは、夏が過ぎた頃でした。

それでも、ボク自身はなんとかしがみつこうとしました。一度やり始めた事をすぐ辞める事はどれほど情けない事か、ということを考えると夜も眠れないくらいの状態でした。ひたすら画面のデザイン案を作成し、ああでもこうでもないとメンバーと話しながらも、ボク自身のリーダーシップの不足で、サービスの開発も思うようには進んではくれませんでした。

一時は、roomdonor.jpの盛り上がりで、自分たちはウェブ業界で大きな事を成し遂げられるんだ!なんでもしっかりサービスを作れば絶対にヒットする。とにかくバンバンサービスを作ってやろう!たくさんの人も応援してくれてるし、俺ら、才能はあるんだ!くらいのアホほどな自信過剰さに頭の中が支配されていました。それは、メディアに大きく取り上げられたボク達の誤解でした。

メディアは使うことはあっても過度に信用しない方がいい。実力以上に評価されることがどんなに辛いか、ということを色んな人を通じて分かっていたつもりだったのに、ボクらは本当は何も分かっていませんでした。本当に好きなコトであればどんなに評価されようと、自分のスタイルを貫けたのかもしれないですが、入ってまだまだ浅い環境の中で、自分たちはただ、トレンドを追っかけていくつまらない起業家志望の学生にしかなっていませんでした。

新しいヒカリ

そんな葛藤を過ごしていたら、いつしか秋になっていました。震災から半年、会社を創業して9ヶ月、友人を誘い出してから11ヶ月。ボクはあることを決めました。

それは、全て辞めるということでした。

喧噪な東京の街並から離れ、関西で1人でじっくりホテルで考えを巡らせた結果でした。

数ヶ月散々しがみついた結果、自分は何も結果が残せない。やりたかった事の1%も実現できず、たくさんの人に迷惑をかけた。けれども、せめて自分が胸を張って頑張れる事をやろうと、心に決めました。

「起業は頭でするものじゃない。体でするものなんだな。本当に本当に好きなコトを、1秒も惜しんで、給料がたとえ0円だったとしても意思を貫けることを仕事にするべきだ。だけど、自分は今そんな人間になれてない。なによりもカッコワルイ。ぜんぜんこっぺ食堂をやっていたころの方がカッコよかったじゃないか。何をデカい仕組みを作ることばかりかんがえて焦ってるんだ自分は。」

じっくり頭の中で結論を出して、メンバーの2人に相談しました。2人はすぐに受け入れてくれました。

卵の殻すらやぶれなかった自分が本当に情けない一方で、この決断をしたことが、自分の中で一筋の光を見せてくれる事になった。今でもそう思っています。

次また、新しいことをやろう。

そんな気持ちにさせてくれました。

ボクは派手に起業して、たくさんの人を巻き込んだり、自分を過大評価してもらうくらいがんばって露出させていく、ということは極力しないようにしていました。なので、会社を作った事もroomdonor.jpを作る時も、あまり誰にも相談せず、そっとやっていました。有言実行よりも不言実行の方がカッコイイかなというそれだけのことですが笑。

でも、それはある意味、自分自身に自信が無かったのかもしれません。結局、会社を立ち上げても、新しく作るサービスのモックをたくさんのひとに見せてたくさんのフィードバックをもらうようなこともしませんでした。あまりひけらかしたくない、のではなく単に自分の本当にやりたい事ではなかったのかもしれないですし、自分が最大限パフォーマンスを発揮できる舞台ではなかったのかもしれません。ならそんな場所からは早々と撤退した方が、周りの方々にも失礼な目を合わさずに済むかなと思いました。

pict:http://news.nationalgeographic.com/news/2010/09/100909-science-space-zodiacal-light-pyramid-skywatching/

これから。

やっぱり、ボクの好きなコトは、料理を作ったり、おいしいものたくさん食べたり、料理を通して沢山の人とコミュニケーションしたりすることだなということを痛切に感じました。同世代で周りに負ける事は無いと自負できるのは、この分野にしかないかなと思いました。

少なくともこれからの数年間はこの世界に生きようと決めました。結果的にまた、ITに戻ったとしてもフード系のサービスしか作る事は無いと思います。やはり、沢山の人を巻き込めて沢山の人に影響を与えられる事をやり続けていければなと思います。少なくとも、こっぺ食堂では少しはその片鱗を見せる事が出来たんじゃないかなと思います。

来年、1年間大学を休学することにしました。

何人かの方にはお話させていただきましたが、1週間1カ国、50カ国くらいを目処にして、世界中のおいしいモノを探してこようと思います。日本人が好きそうなものがあれば持ち帰りたいなとも思ってますし、逆に日本のモノを何か輸出できるかどうかも考えながら巡ってこようと思います。

もともと、フルカスタマイズできるファーストフードに魅力を感じていて、消費者が自分でメニューを作れる仕組みなどを研究しながら旅を続けていこうと思っています。オールドな業界な、飲食業会ですが、その中で新しい仕組みを作っていける人間になれるよう、頑張っていこうと思います。

さらに、必ず1カ国では1回、こっぺ食堂を開いていこうと思っています。観光ビザで行くのでいろいろと制約がありますが、「場所もない、設備もない」トコロで色々やってきたので、力さえ多少あれば場所にとらわれず色んな事ができるんだ、ということを見せられれば良いなと思っています。

タフな旅にはなると思いますが、その旅の中でも、面白いコトや、新しいコトにいろいろと挑戦していこうかなと思っています。

4月2日にまず、日本から台湾に向かう予定です。そこからまず、3ヶ月くらいでアジアを15カ国ほど巡ってくる予定です。

ですので、それまでの2ヶ月間、いままでお会いさせて頂いた方、お会いできていない方にもたくさんお会いさせて頂ければなと思っております。
そして海外に向かう前も、久しぶりにこっぺ食堂をやろうと思っています。3月の頭に渋谷近辺でやろうと思いますので、興味のある方いらっしゃれば是非メールいただければ決まった際に連絡致します。

また、スポンサーや支援してくださる方も、沢山探しておりますので、自分自身でも開拓している最中ですが、興味を持ってくださる方がいらっしゃればご連絡頂ければ幸いです。

連絡先はこちらです:fk.koppe@gmail.com

起業家とアントレプレナー

「トレンドの最先端を追いかけるよりも、トレンドを創り出す立場になった方がはるかにExcitingである。」

サンマイクロシステムズとシスコシステムズの日本法人を創業者として立ち上げた松本孝利さんの言葉だそうです。

起業家とアントレプレナーとは、似て非なるものだと思っています。
ボクは、2010年の11月から、3月、roomdonor.jpを運営していた頃までは、自分自身でトレンドを創り出していく、「アントレプレナー」であったと自負しています。しかし、いつのまにか、トレンドの最先端を追いかけて、道に載っていこうとする「起業家」になってしまっていたような気がします。

本当に好きなコト、ずっと続けている事でしかトレンドを創りだして、道をつくる「アントレプレナー」にはなれないんじゃないかなと思います。

ボクは中学、高校時代にたくさんの歯がゆい思いをしてきました。成績は下から数えた方が早かったですし、部活をやっていたわけでもなかったので、「超平凡なつまらない学生」でした。ただ、ボクが「つまらない学生」じゃなくなるのは、食べ物の世界にしかないと痛感したので、「好きなコト」を貫いてみようと、思います。それで失敗したらまた次を考えていこうと思います。

ミーハーになった瞬間、もう違う事をかんがえた方がいい。そんな事を痛感させられる1年でした。

大学1年生の頃から、スタートアップ界隈の人と仲良くさせていただいて、色々と自分なりにも見ていましたが、2011春から1年間のスタートアップの盛り上がりは、ボクがウォッチしていた時代の中では一番大きなものだったと思います。これから、新しいモノが生まれ、古いもの、つまらないものはどんどん淘汰されていくと思いますが、その中でもやはり、自分の意思を持ち続けられるかどうかが、肝心だなと周りを見ていて感じます。

もし、このブログを読んでくださった方の中で、これから起業したいと思う学生の方や、新しいコトをはじめようという方がいらっしゃったらぜひ、ボクの1年間を通して伝えられることがもしあるとするならば、「トレンドを創れる人間に慣れるように心がける」という事だと思います。そういう人になって頂ければなと思います。

ボクでよければいつでもお話に伺うので、起業したい、という方などはメール下さればなと思います。いろんな方も出来る限り紹介したいです。

最後に、一緒にがんばってくれたメンバーと、相談に乗ってくれた、ゆうや、かんなさん、川村さん含めたくさんの友人。そして父親に感謝です。

お叱りを受ける事も覚悟でこの記事をかかせていただきました。何か思う事がありましたら、メールや、コメントいただければ幸いです。

Twitter:@koppe_jp

mail: fk.koppe@gmail.com

福崎 康平


1,540 Comments

“アツい”ヒトと”巧い”ヒトは、どちらが得をするか。


2週間ほど前、学校の授業で、サッカー日本代表監督だった山本昌邦さんがいらっしゃった。とても面白い話を展開されて、その中で、人間力について話をされた。その話がすごく心に響いた。

人間力は、心・技・体そして、それをとりまくメンタルで作られる。心技体、全てが揃っていても、メンタルが弱い選手は決して一流にはならなかった。

ボクが尊敬している稲盛さんは、こう述べている。

人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力(京セラ創業者・稲盛和夫)


photo link

“アツい”ヒト、”巧い”ヒト


世の中で、素晴らしい人生を歩んだヒトは二つの種類に分かれると思う。それは、”アツい”ヒトと、”巧い”ヒトだ。

“アツい”ヒトは文字通り、努力を怠らないヒトだ。何事にも、夢中になって物事を達成する。周りの人たちに馬鹿にされても、理解されなくても、自分を信じて、信念を貫き続ける人だ。

“巧い”ヒトも、多い。彼らは、自分が何をすべきかを知っている。世の中の情勢、流れをしっかりと読み取り、自分の時間のポートフォリオを組んで最大のリターンを追求する人たちだ。

********************************

ここに、Aという人間と、Bという人間がいる。二人とも食べる事が大好きな人間で、お互い仲良しだ。お互い同じ地に生まれ、同じ小学校、中学校、高校に進み、同じ大学を進んだ。身長も体格も似ていて、まさに、瓜二つの存在だった。

Aは、お気楽な人間だ。料理も食事も大好きで、毎日毎日自分の気の済むまで料理を作っては友達や家族に振る舞った。人付き合いが上手で、食べ物を通して多くの人々と仲良くしている。ただ、とても頑固で、人と同じものは大嫌いだった。みなが注文するご飯はぜったいに頼まないし、みんなと食堂でご飯を食べるくらいなら、自分で弁当を作って学校に行きたいタイプだ。

一方Bは、ちょっぴりミーハーだが、計算高い、ちょっと冷徹な人間だ。料理はしないが、食べる事は好きで、常にCPの高い料理ばかりを考えて注文する。彼なりの、料理の楽しみ方だ。Bはすごく優秀で、物事をすべて計算づくで考える人間だった。周りはそんな彼の事にちょっぴり苦手意識を持っているが、人付き合いは苦手ではないので、友達も少なくはない。

photo link

■ 人生の分岐点


2人は、大学3年生になった。自分なりにお互い、進路の事を考えて、自分の将来を真剣に悩んだ。
お互いの夢は同じだ。「自分の今まで食べたおいしい料理をいつでもどこでも食べられるようなレストランチェーン店を開きたい。」そういった夢だった。

Aは、自分はなにがしたいのか、という事を毎日問い続けた。必死に必死になって毎日考えた。ただ、彼は努力家だ。そのことになるとめっぽうストイックになる。彼は悩んだあげく、やはり大好きな、食べ物に関する仕事に就こうと考えた。彼は自分のレストランを持つ為に、まずは料理の才能を磨こうと決意した。料理人になる夢を持って、単身フランスへと修行に出かける事にした。

Bは、世の中において自分はどういった存在なのか、ということを考えた。彼は簡単に答えを導きだした。「今就職できる、一番収入の高い仕事に就こう。そして3年後にその業界で独立して、そこでためた資金を使って、将来自分のレストランを開こう。」そして彼は、投資銀行に就職した。

Aはとてもリスクの高い決断をした。単身修行に出かけて、諦めれば今まで大学に行って勉強した事も泡となって消えるかもしれない。修行に出かけたからといって、身につけて帰って来れるわけでもない。でも、彼は食べる事も、作る事も大好きだった。コレだったら、世界中で一番になれると思っている。だから、ぜったいに諦めないという粘り強い決心があった。

Bは、Aに比べると楽な人生を歩んだ。利益率の高い業界なので、毎日Aよりも数倍高い給料が振り込まれ、”エリートサラリーマン”として仕事を進めた。仕事はできるタイプだったので、多くをそつなくこなし、社内でもそこそこ評価は高かった。

photo link

■ 3年後


彼らは成長した。二人とも、優秀なことに変わりなかったので、それぞれの道で自分のできる限り頑張った。

Aは日本に帰ってきた。フランスでのがんばりが生かされて、日本で投資家に出会った。投資家に出資してもらい、銀行から資金を一部借りて、フランスの郷土料理をメインに日本人の好みの味に仕上げた、文字通り自分のお店を開くことができたのだ。

Bは、会社を辞めた。そこそこ会社では業績を上げており、優秀な仲間と一緒にコンサルティングファームを立ち上げることになったのである。会社でやっていた頃の顧客を引き連れて、会社も徐々に売り上げをあげるようになってきたのである。しかし、Bにとって今の仕事はあまり面白いものではなかった。しかし、この頃はAの10倍の給料をもらうようになっていたので、割り切って、仕事をしていた。

好きなコトは、”趣味”にとどめておけば良い。

Bはそれでよかったのだ。

■ 10年後


Aは、海外に初めてのお店を出した。日本では、5店舗、海外では1店舗、合計6店舗のお店を経営するようになった。この時も、Aは、必ずどこかの店では料理人として、自分の満足いく料理を提供し続けていた。彼はそれが純粋にたのしかった。毎日毎日寝る間も惜しんでメニューを考え、仕事に熱中した。好きなコトをずっと仕事にし続けていたのである。

でも、Aは満足していなかった。それには、2つの理由があった。1つ目は、まだまだ世界の2カ国でしか自分のお店が出せていなかった。「世界中でおいしいものを食べれるようにする」という夢には到底ほど遠かった。

2つ目の理由はもっと彼にとって不満なことであった。それはBの存在があったからである。

Bは、5年前、立ち上げたコンサルティングファームを売却した。丁度その頃、日本はファーストフードブームが巻き起こっていた。世界の様々なファーストフードがフランチャイズ化されて日本に進出しており、Bはその波に乗った。そこで得た収益で、南米旅行の時に出会った、新感覚のファーストフード店をフランチャイズ化していた。この頃には、世界に500店舗構える会社を広げていたのである。決して料理人でもない彼は、”投資家”として、そして、彼らしく、うまく波に乗って飲食業界で大成功していたのである。

そして、その年、BはAに10年ぶりに再会したのである。

B「久しぶりだな」
A「久しぶり、調子いいみたいだな。」
B「まあまあな。ところで、今日は話があってきたんだよ。」
A「どうしたんだい?」
B「Aの会社、うちに売ってくれないか。最近海外進出したらしいが、高級レストランは、不景気の影響であまりうまく行ってないらしいじゃないか。しかし、オレならこの低空飛行をなんとかできる。だから、3億で買収するよ。」
A「いきなりなんだ…….ちょっと考えさせてくれ….」

結局、Aは、自分が作り上げたレストランチェーンを手放す事にした。Bは、その後も買い取った会社をひろげ、今度はそのレストランを5年間でチェーン展開し、20カ国100店舗にひろげていった。

Aは、飲食業界に関わって10年だった。さらにいえば、ずっと小学校のころも、中学校のころも、高校のころも、大学生のときも、料理が大好きで尽くしていた。まさにAは、”アツい人間”だったのである。彼は、誰よりも食べる事を愛し、そのことだけを考え、誰にも負けないという自負があったのにもかかわらず、こういったことになってしまった。

Bは、飲食業界に関わって、5年間。投資銀行に勤めたノウハウを生かして、一気に飲食業界の風雲児として名を馳せた。彼の当初の夢である「世界中に自分のおいしいと思う食べ物を広げていく」という夢をかなえたのである。

Aは、得た資金を元手にして、ヨーロッパの田舎に自分の店を構えて、ゆったりと人生を過ごした。仕事のことはあまり考えたくはなかった。ただ、ささやかに自分の好きな料理を作る、地元の人に愛される店を、毎日夜だけ開いた。自分もワインを飲みながら、しっぽりと、楽しんだ。

■ 30年後


Bが成功して、めでたし、めでたしではない。30年後、彼らはどうなったのだろうか。

Bの人生は、あれからうまくいくものではなかった。Aのレストランを広げていった後、ブームの終焉に乗じて、味の質が一気に落ちた事で評判が悪くなった事と、不景気、そして食中毒を出した事で、一気に会社が傾いてしまった。彼は失意により、会社を縮小、このときには、会社は倒産してしまっていた。しかしお金は在る程度のこっていたので、Aに謝罪をすることも込めて、20年ぶりの再会をすることにし、移住することをかんがえながら、フランスに出かけたのである。

フランスの住所をたどって出かけるも、そこには、家はなかった。

Bは、Aに電話をかけた。

B「もしもし、Aか?今こっちに来てるんだが。」
A「おお、久しぶりだな!!調子はどうだ?うまくいってるか??」
B「それがな…….」
A「まあいいや、こっちに来なよ。久しぶりにメシでも食おう。○○××にきてくれ!」

Bは指定された住所に向かう事にした。やけにAが都会に引っ越している事に違和感を覚えながらも車窓から景色を除きながら、○○××へと向かった。

そこには、50階建ての高層ビルがあった。

B「うわあ、なんだここは。まあ行くか。」

そこは、オフィスのロビーだった。

A「おお、久しぶりだな!!」
B「久しぶり、ここはなんなんだ??」
A「あ、お前には言ってなかったか。オレはいまここの社長をやってるんだよ。」
B「いやお前、ここって誰もが知ってる超大企業じゃないか。10年間でゼロから、数千億の売り上げを出すようになったとか。」

文字通り、Aは復活していたのである。
彼は数年隠居生活をした後、アイスクリーム屋をヨーロッパの都市部で初めて大成功。大ブームの立役者となり、その後、様々な会社を買収して巨大食品会社を作り上げていたのである。
A「どうしても諦めきれなくてな。」
B「…….」

Bは絶句した。Bは会社をつぶしてしまった事を報告。Aは怒る事無くこう言った。
A「お前、うちの会社で働かないか?仕事もせずにゆっくりしていたって楽しくないだろう。」
B「まあな…」

Bは、役員の一人として、Aの会社に入社することになった。


自分の能力を客観的に分析して、ブームに乗じるなど、効率のいい進め方をしたBは足下をすくわれてしまったが、結果的にAといっしょに働いている。しかしながら彼はその後Aと仲良く、名物コンビとして、20年間会社を成長させていったのである。

********************************

世の中には、”アツい”ヒトと”巧い”ヒト、2種類の人間がいる。
彼らは、自分の性格を簡単に変えることはできない。”アツい”人間(つまり、A)は、巧みに戦略を立てる事はやっぱり苦手で、努力して、多くの人に情熱を与えて働き続ける。逆に、”巧い”人間(つまり、B)は、戦略を立てて効率的に物事を運ぶのはうまいが、どうしても物事に集中できないし、打たれ弱い。一度失敗すると他の事に向かったり、なにもしなくなることが多いような気がする。

今回は、Bの方が上手だったように思えたが結果として、Aの方が一枚上手だった。しかし、逆のシチュエーションだって多いに有り得る。

世の中、どちらが成功しやすくて、どちらが失敗しやすいってのはないだろう。皆、自分の性格を理解して、自分なりに頑張るしか無いのである。

しかし、Bのようなブームに乗っかり続ける人間に決して、ブームは作り出せない。芯を持ってブレないAのような人間はいつか、うまくいけばブームを作り出して大成功をおさめることができるだろう。

しかし、今回のAのように皆が全て成功するとは限らない。寧ろそういった人間はごくわずかだ。そういった場合は、客観的にみると、Bの方が幸せな道を歩むような気もする。

自分はいつも、どちらなんだろうと、葛藤を覚える時があるが、ブレず、頑張っていきたいと思う。Aのようになりたいという想いもあれば、Bのように”巧く”人生やりくりしている人が幸せなんじゃないのかな、と思う時も在る。

しかし、諦めた瞬間そこでおわりだ。突っ張らず、自分のスタイルを作っていきたい。


18 Comments